浅草冨士浅間神社は、古くは蔵前の三好町(現在の蔵前二丁目)に祀られていたが、幕命により現社地に遷座したと伝えられる。お山開きの縁日は植木市として知られ、現在では5月と6月の最終土・日曜日の4日間行われ、多くの人出で賑わう。
正式名称 | 浅間神社〔せんげんじんじゃ〕 |
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通称 | 浅草富士浅間神社〔あさくさふじ せんげんじんじゃ〕 |
御祭神 | 木花佐久耶姫命 |
社格等 | 旧無格社 |
鎮座地 | 東京都台東区浅草5-3-2 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | http://www.asakusajinja.jp/asakusajinja/sengenjinja.html |
御朱印
(1)平成17年、植木市に拝受した御朱印。中央の朱印は桜の神紋。右上は「東京浅草」、左下は「富士浅間神社」。
(2)平成28年、植木市で拝受した御朱印。中央上の朱印は桜の神紋、下は「浅草富士浅間神社」、右下は麦藁蛇。
(3)平成28年、夏詣・例大祭(富士山山開き)の御朱印。中央上の朱印は桜の神紋、下は富士山に「夏詣」。右に麦藁蛇、左に「浅草富士浅間神社」の印。
御由緒
浅草冨士浅間神社は、富士信仰の盛んだった江戸時代、富士山の遙拝所として勧請された浅間神社の一つ。
元は蔵前の三好町(現在の蔵前二丁目)に勧請されたが、幕府の命により現在地に遷座した。当時、この地は富士山に似た小丘であったという。
創建年代については、本殿から発見された棟札により元禄年間(1688~1703)と考えられているが、寛文11年(1671)の江戸絵図に鳥居の表記があることから、その頃には鎮座していたのではないかとする説もある。
江戸時代は富士権現と称し、浅草寺の子院・修善院が別当として管理していたが、神仏分離のため、明治6年(1873)より浅草神社の兼務社となった。
土蔵造の本殿は明治11年(1878)の建造で、昭和20年(1945)の東京大空襲でも焼け残った。平成9~10年(1997~98)の改修工事で、外側に漆喰塗が施された。また、平成28年(2016)には境内に小さな富士塚が築かれた。
例大祭は富士山の山開きが行われる7月1日。かつては旧暦の6月1日だった。
植木市はその縁日として知られているが、現在では5月と6月の最終土・日曜日に行われている。植木屋を中心として多数の出店が並び、4日間の人では延べ30万人という。
植木市では、疫病除け・水あたり除けのお守りとして麦藁蛇が頒布される。元は宝永年間(1704~11)駒込の喜八という百姓が夢告を受け、駒込富士神社で授与するようになったものだが、霊験あらたかであると評判になったことから、浅草でも授与するようになったという。
戦後は中絶していたが、近年、これを再現し、植木市と正月三が日に頒布するようになった。植木市の御朱印にも麦藁蛇が描かれている。
写真帖
見どころ
■浅草富士(富士塚)
平成28年(2016)新しく築かれた富士塚。高さは約1.5mだが、富士山のボク石(溶岩)を用い、頂上には石祠を設けた本格的なもの(富士塚の定義にはボク石を使うことが含まれているが、現在は採取が禁止されている)。頂上の石祠に拝すると、ちょうど富士山の方向に向かうようになっている。
メモ
浅草寺の北、浅草警察署の斜め向かいに鎮座する。境内は少し高くなっているが、創建当時、ここには小さな丘があり、その姿が富士山に似ていたとも伝えられる。御祭神に因んで境内には桜が植えられており、春には見事な花を咲かせる。普段は無人のため、植木市の日に参拝して御朱印を拝受した。後でわかったことだが、普段は浅草神社の授与所でいただけるようだ(平成17年当時、浅草神社授与所には御朱印に関する掲示がなかった)。
浅草富士浅間神社の概要
名称 | 浅間神社 |
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通称 | 浅草富士浅間神社 お富士様 |
旧称 | 富士権現 |
御祭神 | 木花佐久耶姫命〔このはなさくやひめのみこと〕 |
鎮座地 | 東京都台東区浅草五丁目3番2号 |
創建年代 | 元禄年間(1688~1703)以前? |
社格等 | 旧無格社 |
例祭 | 7月1日 |
神事・行事 | 5月・6月の最終土・日曜日/植木市 |
交通アクセス
□銀座線・都営浅草線・東武鉄道「浅草駅」より徒歩約12分、またはバス
■都営バス池袋駅東口行き「浅草警察署前」下車すぐ
■都営バス南千住駅西口・南千住車庫前行き「浅草七丁目」徒歩3分