花園稲荷神社

花園稲荷神社

創建年代は不詳だが、承応3年(1654)天海僧正の弟子であった晃海僧正が夢告を受け、廃絶していた稲荷社を再興し、寛永寺の守護神として奉斎した。慶応4年(1868)の上野戦争で最後の激戦地(穴稲荷の戦い)となり廃絶したが、明治6年(1873)篤志家たちによって再興された。
台東区の神社

正式名称 花園稲荷神社〔はなぞのいなりじんじゃ〕
御祭神 倉稲魂命
社格等 旧村社
鎮座地 東京都台東区上野公園4-17 [Mapion|googlemap]
公式サイト http://www.gojotenjinja.jp/hanazonoinari.html
東都神社御朱印集
東京の神社400社以上の御朱印や由緒などの紹介。珍しい江戸時代から昭和戦前までの御朱印も掲載。

御朱印

  • 花園稲荷神社の御朱印

    (1)

  • 花園稲荷神社の御朱印

    (2)

(1)平成17年拝受の御朱印。上の朱印は「華園稲荷神社」、下は「花園神社」。

(2)平成22年拝受の御朱印。朱印は平成17年のものと同じ。

昔の御朱印

  • 昭和2年の御朱印

昭和2年の御朱印。上の印は「花園神社」、右下は「上野公園 花園稲荷神社」。揮毫は「上野恩賜公園鎮座」「華園稲荷神社」。

御由緒

創建年代は不詳だが、古くからこの地に鎮座し、忍岡稲荷と呼ばれた。また、石窟の上にあったことから穴稲荷とも称された。

承応3年(1654)天海僧正の弟子で寛永寺の山内子院・本覚院の住職であった晃海僧正が夢告を受け、廃絶していた当社を再興し、上野の山の守護神として祀ったという。

彰義隊が新政府軍と戦った上野戦争では、最後の激戦となった「穴稲荷門の戦」が行われた。
明治6年(1873)岩堀数馬、伊藤伊兵衛ら篤志家たちによって再興され、花園稲荷と改称された。大正13年(1924)五條天神社が隣地に遷座、これを機に現在の南向きの社殿が造営され、境内の景観が一新した。

社殿手前の東側が旧社殿の跡で、今も「お穴様」が残っている。「お穴様」の左奥にある祠は弥左衛門狐と呼ばれ、寛永寺創建の際、天海僧正が忍岡の狐がすみかを失ったことを哀れんで一洞を作り、その上に祠を建てて祀ったものという。

写真帖

  • 正面鳥居

    正面参道の鳥居

  • 東鳥居

    東参道の鳥居

  • 拝殿

    拝殿

  • 弥左衛門狐祠

    弥左衛門狐祠

  • お穴様

    お穴様

メモ

五條天神社とは同一境内のようになっているが独立した神社であり、参道も別にある。ただし、大正半ばにはすでに五條天神社の兼務社になっていたようだ。位置づけとしては地主神ということになるのかもしれない。御朱印は五條天神社の社務所でいただける。

花園稲荷神社の概要

名称 花園稲荷神社
旧称 稲荷神社 忍岡稲荷社 穴稲荷
御祭神 倉稲魂命〔うかのみたまのみこと〕
鎮座地 東京都台東区上野公園4番17号
創建年代 不詳
社格等 旧村社
例祭 4月11日
神事・行事 11月11日/秋季大祭

交通アクセス

□JR山手線・京浜東北線・東京メトロ銀座線・日比谷線・京成本線「上野駅」より徒歩約5分

五條天神社(上野)
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台東区の神社
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