第25番 宝珠山 津照寺(津寺)| 高知県室戸市

25番津照寺

弘法大師が四国を巡錫された時、地蔵菩薩の持つ宝珠に似たこの山が霊地であると感得して一寺を建立し、自ら延命地蔵の像を刻んで本尊とした。慶長年間(1596~1615)土佐藩主・山内一豊が室戸沖を航行中に嵐に遭ったとき、津照寺の地蔵菩薩が僧の姿で楫を取り、危難を救ったという。以来、「楫取〔かじとり〕地蔵」として漁業関係者の信仰を集めている。

名称 宝珠山 真言院 津照寺
御本尊 地蔵菩薩
本尊真言 おん かかかび さんまえい そわか
御詠歌 法の舟 入るか出づるかこの津寺 迷ふ我身をのせてたまへや
所在地 高知県室戸市室津2652 [Mapion|googlemap]
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目次

津照寺の納経(御朱印)

津照寺の納経
(1)
25番津照寺の納経
(2)

(1)平成元年拝受の納経。揮毫は地蔵菩薩の種字「カ」に「地蔵尊」、寺号は「津寺」。中央の宝印は火炎宝珠に種字「カ」。右上の朱印は「四国第二十五番」、左下は「津照密寺」。

(2)平成19年拝受の納経。揮毫・朱印ともに平成元年のものと同じ。

昔の納経

天保11年の納経
(3)
天保12年の納経
(4)
明治38年の納経
(5)

(3)天保11年(1840)の納経。揮毫は「奉納経」「本尊地蔵大士」「土州津寺」。中央の宝印は宝珠に地蔵菩薩の種字「カ」。右上の朱印は「廿五番」、左下は「宝珠山」。

(4)天保12年(1841)の納経。揮毫は「奉納経」「金堂地蔵大士菩薩(※菩薩は草かんむりを二つ重ねた略字、いわゆるササ菩薩)」「土州室津浦」「津照寺」。大士と菩薩は同じ意味であり、書き慣れない人の筆であろうと思われる。朱印は天保11年のものと同じ。

(5)明治38年(1905)の納経。揮毫は「奉納」「本尊地蔵大士」「土佐 津寺」。中央の宝印は火炎宝珠に地蔵菩薩の種字「カ」。右上の朱印は「四国二十五番」、左下は「津照密寺」。

略縁起

津寺の通称で知られ、24番最御崎寺(東寺)・26番金剛頂寺(西寺)と合わせて室三山と呼ばれる。

寺伝によれば、大同2年(807)当地を巡錫した弘法大師が、地蔵菩薩の持つ宝珠ににたこの山が霊地であると感得した。そこで海上安全と大漁を願って一宇を建立し、自ら刻んだ延命地蔵菩薩を本尊としたことにはじまる。

平安時代から地蔵菩薩の霊場として知られていたようで、『今昔物語集』巻十七の「地蔵菩薩火難ニ値ヒ自ラ堂ヲ出ルヲ語ル」に津寺として登場し、地蔵菩薩の霊験譚が記されている。

慶長年間(1596~1615)山内一豊公が室戸沖を航海中、嵐のために船が転覆しかけた。この時、津照寺の延命地蔵菩薩が僧の姿で現れて楫を取り、危難を救ったと伝えられる。以来、楫取地蔵と称され、今も漁業関係者から篤い信仰を集めている。

長宗我部氏や山内氏の庇護により寺運は繁栄していたが、明治の廃仏毀釈によって廃寺となった。明治16年(1883)に再興されたものの境内は狭小となり、かつての面影は見られなくなったという。現在の本堂は昭和50年(1975)、大師堂は同38年(1963)の再建である。

写真帖

山門
山門
大師堂
大師堂
本堂
本堂への石段

メモ

室津漁港を見下ろす小高い山の上にある。中腹の竜宮門が印象的だが、麓から本堂までは急な石段が続く。

津照寺の概要

山号 宝珠山(ほうしゅざん)
寺号 津照寺(しんしょうじ)
院号 真言院(しんごんいん)
通称 津寺(つでら)
御本尊 地蔵菩薩(楫取地蔵)
所在地 高知県室戸市室津2652番地
創建年代 大同2年(807)
開山 弘法大師
宗派等 真言宗豊山派

交通アクセス

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