名称 | 鶏足山 宝幢院 金倉寺 |
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御本尊 | 薬師如来 |
所在地 | 香川県善通寺市金蔵寺町1160 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | http://www.kagawa-konzouji.or.jp/ |
【本尊真言】
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
【御詠歌】
まことにも神仏僧をひらくれば 真言加持の不思議なりけり
【略縁起】
天台寺門宗の祖・智証大師円珍の御誕生所として知られる。寺伝によれば、宝亀5年(774)智証大師の祖父・和気道善が如意輪観音を祀る堂を建立したことに始まる。仁寿元年(851)官寺となり、道善寺と号した。その後、唐から帰国した智証大師が長安の青龍寺に倣って伽藍を造営した。延長6年(928)醍醐天皇の勅により金倉郷の名を取って金倉寺と改められた。
金倉寺の納経(御朱印)
(1)平成元年拝受の納経。揮毫は薬師如来の種字「バイ」に「薬師如来」。中央の宝印は蓮台上の火炎宝珠に薬師如来の種字「バイ」。右上の印は「四国第七十六番」、左下は「僧綱■所」。
(2)平成19年に拝受した納経。揮毫・朱印ともに平成元年のものと同じ。
江戸時代の納経
(1)天保11年(1840)の納経。版木押しで「奉納」「金堂本尊薬師如来」「智証大師御誕生地」「訶利帝母御出現所」「讃州鶏足山金倉寺」「役者」。中央に宝印はない。右上の印は「第七十六番」、左下は「鶏足」。
(2)天保12年(1841)の納経。版木・朱印ともに天保11年のものと同じ。
明治時代の納経
(1)明治38年(1905)の納経。版木押しで「奉納経」「金堂本尊薬師如来」「智証大師御誕生所」「訶利帝母出現之地」「讃陽鶏足山金倉寺」。中オウン宝印はない。右上の印は「第七十六番」、左下は現在のものと同じ「僧綱■所」。
金倉寺について
山号 | 鶏足山(けいそくざん) |
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寺号 | 金倉寺(こんぞうじ) |
院号 | 宝幢院(ほうどういん) |
旧称 | 自在王堂 道善寺 |
御本尊 | 薬師如来 |
所在地 | 香川県善通寺市金蔵寺町1160番地 |
創建年代 | 宝亀5年(774) |
開山 | 和気道善 |
宗派等 | 天台寺門宗 別格本山 |
文化財 | 〈重文〉文絹本著色智証大師像(有賛) |
覚え書き
広い境内に風格のある堂宇が並ぶ。第五代天台座主にして園城寺(三井寺)の中興開山、天台寺門宗の開祖と仰がれる智証大師円珍の御誕生所であり、天台寺門宗の別格本山である。
智証大師は和気氏の出身で、弘法大師の甥(姪の子という説もある)になるという。
開基は智証大師の祖父・和気道善で、宝亀5年(774)等身の如意輪観音を祀る堂を建立し、自在王堂と称した。仁寿元年(851)道善の子で智証大師の父である宅成が官寺とすることを奏上し、許されて道善寺と改めた。その後、唐から帰朝した智証大師が長安の青龍寺に倣って伽藍を造営し、薬師如来を刻んで本尊とした。
延長6年(928)醍醐天皇の勅により、金倉郷の名をとって金倉寺と改めた。因みに山号は、当時のこの地の様子が、釈尊の十大弟子の一人・摩訶迦葉尊者が入定したインドの鶏足山に似ていたことによるという。
最盛期には堂塔数十、僧坊百二十余を誇ったというが、建武年間(1334~36)・天文年間(1532~55)の兵火によって灰燼に帰した。寛永19年(1642)松平頼重により再興される。
そういう由緒もあり、大師堂の中央には智証大師が祀られ、左右に弘法大師と神変大菩薩役行者が配されている。
境内には智証大師の銅像がある。山伏装束をしているのは、聖護院など本山派修験(天台系)の祖と仰がれているからであろう(真言系の当山派修験の祖は、同じく讃岐出身の理源大師聖宝)。
この寺には智証大師が五歳の時に訶利帝母が出現し、教法護持を約束したという伝説がある。訶利帝母は鬼子母神のことである。その由緒を以て「訶利帝母日本最初出現之地」とされる。
また、乃木希典将軍が第十一師団長として善通寺に赴任したとき、この寺を宿舎としたことでも知られる。東京からはるばる訪ねてきた静子夫人を会わずに追い返し、途方に暮れた夫人が、そのたもとでしばしたたずんだという逸話の「乃木将軍妻返しの松」が今に残る。