正式名称 | 氷川神社〔ひかわじんじゃ〕 |
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通称 | 大川町氷川神社 五丁目大川町氷川神社 |
御祭神 | 素盞嗚尊 倉稲魂命 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都足立区千住大川町12-3 [Mapion|googlemap] |
【由緒概要】
大川町氷川神社は、永仁2年(1294)土地の鎮守として創建されたことに始まると伝えられる。日光道中の初宿として千住宿が成立すると、千住五丁目の鎮守とされた。大正4年(1915)荒川放水路の開削工事のため現社地に遷座した。
大川町氷川神社の御朱印
(1)平成23年拝受の御朱印。中央の朱印は「氷川神社」、左上の印は白抜きで「五丁目大川町氷川神社」。
(2)千寿七福神・布袋尊の御朱印、平成23年拝受。
大川町氷川神社について
名称 | 氷川神社 |
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通称 | 大川町氷川神社 五丁目大川町氷川神社 |
御祭神 | 素盞嗚尊〔すさのおのみこと〕 倉稲魂命〔うかのみたまのみこと〕 |
鎮座地 | 東京都足立区千住大川町12番3号 |
創建年代 | 永仁2年(1294) |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 9月15日 |
巡拝 | 千寿七福神(布袋尊) |
御由緒
大川町氷川神社は千住五丁目と千住大川町の鎮守。旧別当は真言宗の西林山安養院(千住5)。元は千住五丁目の川田耕地に鎮座していたという。
安養院が災害に遭ったため古記録を失ったが、伝承によれば、この付近の開墾が始まったのは宝治年間(1247~49)のことといわれる。永仁2年(1294)土地の鎮護として素盞嗚尊を勧請したと伝えられる。千住宿が成立すると、五丁目の鎮守となった。
大正4年(1915)荒川放水路の開削工事のため現社地に遷座した。現在の社殿は昭和42年(1967)の再建である。
境内にある富士塚は「千住川田浅間神社富士塚」と呼ばれ、文政7年(1824)の築造。元は現在地の西北の川田耕地にあり、同じ境内に氷川社・稲荷社・浅間社が鎮座していたという。荒川放水路の開削工事に伴い、現在地のやや西側に移築された。昭和43年(1968)東京都の水道幹線工事に伴い、再度移築復元された。
他に、天保14年(1843)幕府の命で地すき紙を献上したことを記念して建てられた紙すき碑や、旧千住新橋の標柱などがある。
補足
千住宿には一丁目から五丁目まであり、それぞれが氷川神社を鎮守としていた(一・二丁目は現在の千住神社、三丁目は現在の千住本氷川神社)。当社は千住五丁目の鎮守であった。
ネット等を見ると、いずれも通称を大川町氷川神社としている。千住大川町に鎮座しているからであろう。しかし、御神燈や御朱印等は五丁目と大川町を並べており、五丁目大川町氷川神社と呼ぶのが正しいのかもしれない。しかし、少々長すぎるので、ここでは一般的な通称に従う。
写真帖
メモ
参拝は千寿七福神巡拝の一環として。御朱印は七福神の御朱印とともに町会の人が対応しているので、七福神の期間のみの授与ではないかと思われる。神社の御朱印をいただけると思っていなかったために神社用の朱印帳を用意しておらず、やむなく七福神用の朱印帳に拝受した。