千ヶ瀬神社

千ヶ瀬神社

(平成17年撮影)

千ヶ瀬神社は、古くは大社権現、江戸時代には稲荷社と称した。千ヶ瀬村の鎮守で、社家の先祖・出雲太郎某が故郷・出雲の杵築大社(出雲大社)の上を勧請し、出雲神社と称したことに始まると伝えられる。明治7年(1874)村内の神明大神宮(神明社)を合祀し、明治16年(1883)千ヶ瀬神社と改称した。

正式名称 千ヶ瀬神社〔ちがせじんじゃ〕
御祭神 豊宇気姫命 大国主命 伊邪那美命 他2柱 〈神明社〉天照大神
社格等 旧村社
鎮座地 東京都青梅市千ヶ瀬町2-117 [Mapion|googlemap]
最寄り駅 東青梅(JR青梅線)
バス停:千ヶ瀬二丁目・千ヶ瀬四丁目・東青梅四丁目

御朱印

御朱印は宮司様宅にて拝受できる(※社務所に案内図あり)。

  • 千ヶ瀬神社の御朱印

    (1)

  • 千ヶ瀬神社の御朱印

    (2)

(1)平成17年拝受の御朱印。中央の朱印は「稲荷大神 神明大神 御璽」。

(2)平成30年拝受の御朱印。朱印は平成17年のものと同じ。

御由緒

千ヶ瀬神社御神木朝日の御蔭

出雲太郎が植えたと伝えられる御神木・朝日の御蔭

御祭神

千ヶ瀬神社の御祭神については資料によって違いがある。筆頭に挙げられる神が稲荷神社の主祭神である豊宇気姫命であることは一致し、それ以外の神々も顔ぶれはほぼ共通しているが、総数が一致しない。天照大神と豊受大神の扱いが違うのは、かつては本殿に合祀されていたが、現在は神明社として独立した社殿に祀られているためと思われる。

(1)由緒書

平成17年の参拝時にいただいた由緒書では以下の通りで、当サイトではこれに従っている。

《本殿》
・豊宇気姫命…稲荷神社の主神
・大国主命
・伊邪那美命 他2神
《神明社》
・天照大神
《末社3社》
6神(※八雲神社の建速須佐之男命、浅間神社の木花佐久夜比売命、春日神社の武甕槌命・経津主命・天児屋根命・比売大神の6柱であろう)

(2)『平成「祭」データ』

《主祭神》
・豊宇気姫命 ・猿田彦命 ・大国主命 ・伊邪那美命 ・速須佐之男命 ・火産霊命
《合祀》
・天照大神 ・豊受大神

(3)東京都神社庁の公式サイト

「豊宇気毘売神 他六柱」となっている。

(4)『青梅市史』

以下の9柱。以前は本殿に合祀されていたが、現在は別宮の神明社に祀られている天照大神と豊受大神の2柱を外すと、東京都神社庁のサイトに合致する。

・豊宇気姫命 ・猿田彦命 ・大宮能売命 ・大国主命 ・伊邪那美命 ・速須佐之男命 ・火産霊命 ・天照大神 ・豊受大神

(5)神社明細帳

青梅市史とほぼ一致しているが、大鷦鷯命を含む10柱となっている。

《祭神》
・豊宇気姫命 ・猿田彦命 ・大宮姫命 ・天照大神 ・豊受大神
《配祀》
・大国主命 ・伊邪那美命 ・速須佐之男命 ・火産霊命 ・大鷦鷯命

大鷦鷯命は仁徳天皇のことで、若宮八幡宮に祀られることが多い。『新編武蔵風土記稿』によれば、千ヶ瀬村の西の方に若宮という小名があり、若宮八幡が祀られていたらしい。明治の頃、これを合祀していたのであろうか(未確認)。

御由緒

千ヶ瀬神社は千ヶ瀬村の鎮守で、江戸時代には稲荷社と称していた。さらに古くは大社権現と称していたと伝えられる。

創建年代は不詳だが、社家・高野氏の家伝によれば、今から一千年ほど前、先祖の出雲太郎某によって創建された。出雲太郎は出雲国杵築大社(現在の出雲大社)の社人の次男であったが、故あって東国に下った。当地に住み着いて杵築大社の神を勧請し、出雲神社と称したのが当社の起こりという。

延喜年間(901~23)延喜式の編纂に当たり、当時の神官が誤って出雲神社を大社権現と記し、火産霊神を合祀して飯綱権現としたことから官社の列に漏れたとされる。無論、この話は後世の創作であろうが、主祭神の変更などの歴史的事実を反映しているのではないかと思われる。

承平3年(933)神主・藤原吉政が社殿を再建し、9月18日に遷宮の儀を行ったと伝えられる。

慶長12年(1607)社家・高野氏の屋敷が火災に遭い、社記古文書が焼失したため、それ以前の歴史や所伝が失われた。

慶安2年(1649)徳川将軍家より朱印地5斗を寄せられた。この頃には大社権現の名は忘れ去られ、稲荷大明神と公称していた。宝暦5年(1755)社殿を再建。

明治元年(1868)閏4月13日、有栖川宮へ神明・稲荷両社の名で道中安全祈祷の玉串を献上した。

明治3年(1870)稲荷神社と改称、明治6年(1873)村社に列格。明治7年(1874)御伊勢山(『青梅市史』では御伊勢林)にあった神明大神宮(神明社)を境内に遷座し、明治16年(1883)両社を合わせて千ヶ瀬神社と称するようになった(※千ヶ瀬神社でいただいた由緒書に従う。『青梅市史』等では明治15年9月となっている)。

大正15年(1926)社殿を再建した。

御神木

社殿の東西に出雲太郎が植えたと伝えられる御神木の椎の木があり、それぞれ朝日の御蔭、夕日の御蔭と呼ばれる。残念ながら夕日の御蔭は文明12年(1480)大風で折れ、枯れてしまった。現在のものはその後に植えられたものである。朝日の御蔭は現在も青々と茂り、昭和32年(1857)青梅市の天然記念物に指定された。

境内社

千ヶ瀬神社神明社

御神木・夕日の御蔭と神明社

神明社

御祭神は天照大神と豊受大神。元は神明大神宮と称し、稲荷社(千ヶ瀬神社)の社家・高野氏が兼務していた。創建年代は詳らかでないが、慶安2年(1649)徳川将軍家より朱印地1石を寄進されている。

明治3年(1870)神明大神と改称した。明治7年(1874)稲荷神社(千ヶ瀬神社)境内に遷座し、明治16年(1883)稲荷神社と合祀して千ヶ瀬神社と改称したようだ。神社明細帳を見ると境内社の扱いで項目を立てているが、社殿は「本社ニ同ジ」とある。現在は境内の独立した社殿に祀られている。

八雲神社

御祭神は建速須佐之男命で、元は牛頭天王と称した。安永2年(1773)6月15日に勧請された。

当時、この地で疫病が流行していたため、村人たちが疫病の退散を祈願して勧請し、神助を蒙った。そこで安永5年(1776)に御輿を造立、以来毎年6月15日に村内神幸の儀を行うようになった。現在は調布大祭と称し、毎年4月15日に近い日曜日に、旧調布村の他の八雲神社(境内社を含む)と合同で神輿・山車の巡行を行っている。

明治3年(1870)八雲大神と改称した。

浅間神社

御祭神は気花佐久夜比売命で、元は佐久夜比売社と称した。天保3年(1832)6月1日の勧請。明治3年(1870)浅間神社と改称した。

春日神社

御祭神は武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売大神で、元は春日大明神と称した。鎮座の年月日は不詳。明治3年(1870)春日神社と改称した。

写真帖

  • 千ヶ瀬神社一の鳥居

    一の鳥居

  • 千ヶ瀬神社境内

    境内

  • 千ヶ瀬神社手水舎

    手水舎

  • 千ヶ瀬神社境内社

    境内社

  • 千ヶ瀬神社神明社

    神明社と御神木・夕日の御蔭(シイノキ)

  • 千ヶ瀬神社御神木朝日の御蔭

    御神木・朝日の御蔭(杜のシイノキ)

  • 千ヶ瀬神社拝殿

    拝殿

  • 千ヶ瀬神社神号額

    神号額

  • 千ヶ瀬神社神号額

    神号額

  • 千ヶ瀬神社本殿

    本殿

メモ

初めての参拝は平成17年9月半ばの晴れた日。石垣の上に木々の緑で囲まれた神明造の社殿が建つ。青梅近辺の神社に見られるが、初めてそれに出会ったのがこの神社である。すぐ前を道路が横切るため視界を遮るものがなく、鮮やかな空の青さと木々の緑の中に鎮まる社殿が非常に印象的だった。

2度目は平成19年12月、虎柏神社の御朱印をいただくために参拝。千ヶ瀬神社の宮司さんは虎柏神社の他、勝沼(旧乗願寺村)の石動神社、東青梅(旧上師岡村)の師岡神社、黒沢(旧黒沢村)の檜原神社を兼務しており、それぞれの御朱印をいただくことができる(平成30年に拝受した)。

千ヶ瀬神社の概要

名称 千ヶ瀬神社
旧称 出雲神社 大社権現 稲荷大明神
御祭神 豊宇気姫命〔とようけひめのみこと〕
大国主命〔おおくにぬしのみこと〕
伊邪那美命〔いざなみのみこと〕他2柱
〈神明社〉
天照大神〔あまてらすおおみかみ〕
鎮座地 正東京都青梅市千ヶ瀬町二丁目117番地
創建年代 不詳/伝・平安時代
社格等 旧村社
例祭 9日15月
神事・行事 1月1日/歳旦祭
3月15日に近い日曜日/祈年祭
4月15日に近い日曜日/八雲祭(調布大祭)
※『平成「祭」データ』による

交通アクセス

□JR青梅線「東青梅駅」より徒歩12分
□JR青梅線「河辺駅」より徒歩15分

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