名称 | 仏光山 広徳院 郷照寺 |
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御本尊 | 阿弥陀如来 |
所在地 | 香川県綾歌郡宇多津町1435番地 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | http://www.yakuyoke.org/ |
【本尊真言】
おん あみりた ていせい からうん
【御詠歌】
踊り跳ね念仏唱う道場寺 拍子を揃え鐘を打つなり
【略縁起】
寺伝によれば神亀2年(725)行基菩薩によって開創され、仏光山道場寺と名付けられた。弘仁6年(815)弘法大師が42歳の時に自らの像を安置し、厄除けの誓願をされたという。正応元年(1288)一遍上人が滞在し、教えを広めた。この由縁により、寛永4年(1664)松平頼重が再建した際、時宗に改宗し、寺号を郷照寺に改めた。
郷照寺の納経(御朱印)
(1)平成元年拝受の納経。揮毫は「法王殿」。中央の宝印は「南無阿弥陀仏」。右上の印は「第七十八番」、左下は八方崩しの書体で「郷照寺」。
(2)平成19年に拝受した納経。揮毫・朱印ともに平成元年のものと同じ。
江戸時代の納経
(1)天保11年(1840)の納経。版木押しで「奉納経」「本尊阿弥陀如来」「讃州仏光山」「道場寺」「行者丈」。中央の宝印は現在のものとほぼ同じ「南無阿弥陀仏」で斜めに押している。右上の印は白抜きで「第七十八番」、左下は「道場寺」。
(2)天保12年(1841)の納経。揮毫・朱印ともに天保11年のものと同じ。
明治時代の納経
(1)明治38年(1905)の納経。版木押しで「奉納経」「本尊阿弥陀如来」「東讃陽仏光山」「郷照寺」「行者丈」。中央の宝印は「南無阿弥陀仏」。右上の印は「第七十八番」、左下は「道場寺」。
郷照寺について
山号 | 仏光山(ぶっこうざん) |
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寺号 | 郷照寺(ごうしょうじ) |
院号 | 広徳院(こうとくいん) |
通称 | 厄除うたづ大師 |
旧称 | 道場寺 |
御本尊 | 阿弥陀如来 |
所在地 | 香川県綾歌郡宇多津町1435番地 |
創建年代 | 神亀2年(725) |
開山 | 行基菩薩 |
宗派等 | 時宗 |
文化財 | 〈県有形文化財〉木造阿弥陀如来坐像 絹本著色釈迦三尊二声聞図 |
覚え書き
宇多津の町を見下ろす境内からは瀬戸大橋の眺望がすばらしい。八十八ヶ所中、唯一の時宗の寺院である。因みに宇多津町は明治以来、一度も合併をしていないため大字がない。
神亀2年(725)行基菩薩によって創建され、仏光山道場寺と名付けられた。弘仁6年(815)弘法大師が42歳の時、自作の像を安置して厄除けの誓願をされたという。これにより「厄除うたづ大師」として広く信仰を集めている。
仁寿年間(851~54)理源大師聖宝が参籠・修行した。寛和年間(985~87)恵心僧都が夢告を受け、釈迦如来の画像を奉納し、釈迦堂を建立した。仁治4年(1243)には流罪となった高野山の道範阿闍梨が仮住まいをしたと伝えられる。
正応元年(1288)には一遍上人が滞在し、教えを弘めた(道場寺という寺号は、念仏の道場であったことに由来するものではなかろうか?)。その所縁により、元亀・天正の兵火で焼失した後、寛文4年(1664)松平頼重が再興した際に時宗に改められた。また、この時、寺号が道隆寺と紛らわしいことから郷照寺と改号したという。
ただし寺号について、元禄2年(1689)の『四国徧礼霊場記』には「道場寺」とある。また、江戸時代はもちろん、明治10年代の納経帳でも「道場寺」となっている。一方、宗派については承応2年(1653)の『四国辺路日記』に「寺ハ時宗也」とある。寛文4年の改号・改宗については検討の余地があるのではなかろうか。
本堂は四国霊場では珍しい奈良様式。境内には庚申堂や粟島明神堂、万体観音洞などがあり、信仰を集めている。