若宮神社は、棟札により慶安5年(1652)領主である旗本・大久保忠行が社殿を建立したことがわかっているが、創建年代はそれ以前に遡ると考えられている。昭和36年(1961)白髭神社、昭和40年(1965)日枝神社、昭和47年(1972)八幡神社、平成5年(1993)に天満神社など、旧豊田村内にあった神社を合祀している。
正式名称 | 若宮神社〔わかみやじんじゃ〕 |
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御祭神 | 仁徳天皇 〈合祀〉猿田彦命 大山咋命 応神天皇 菅原道真公 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都日野市東豊田2-32-5 [Mapion|googlemap] |
最寄り駅 | 豊田(JR中央本線) バス停:東豊田 |
御朱印
(1)平成17年拝受の御朱印。中央の朱印は「若宮神社」、右上は三つ巴の神紋。
御由緒
御祭神
主祭神は仁徳天皇。若宮は親神に御子神のことで、仁徳天皇は八幡大神・応神天皇の御子神に当たる。
かつて豊田村内の諸社に祀られていた猿田彦命(白髭神社)、大山咋命(日枝神社)、応神天皇(八幡神社)、菅原道真公(天満神社)を合祀する。
御由緒
若宮神社は、豊田村の総鎮守。豊田村は貞治2年(1363)の「船木田庄領家方年貢算用状」にもその名が見える古い村である。
『新編武蔵風土記稿』には、棟札に慶安5年(1652)領主である旗本・大久保勘三郎忠行によって社殿が建立されたことが記されているとあるが、創建年代はそれよりかなり古いだろうと考えられている。
※大久保勘三郎について、大久保勘三郎忠良としているサイトもあるが、忠良は慶安3年(1650)に没しているので、その子・勘三郎忠行のこととするのが妥当であろう。
大久保忠行は1,200石取りの旗本で、慶安3年(1650)に家督を継ぎ、御目付・御先鉄砲頭・御槍奉行などを歴任している(寛政重脩家譜)。
大久保家と豊田村の関わりは、忠行の父・忠良が慶長2年(1597)豊田村200石の知行地を拝領したことに始まり(その後、入間郡内に1,000石を加増され、忠行の代に多摩郡・都筑郡内に移される)、幕末まで続いている。因みに、若宮神社の別当・大久山善生寺(法華宗陣門流)は大久保家の菩提寺で、忠良が息女・善生院妙蓮の追善のために建立したものである。
安永8年(1779)社殿を再建。参集殿前には寛政9年(1797)に奉納された狛犬が安置されている。『新編武蔵風土記稿』によれば、御神体は5寸(約15cm)ほどの束帯姿をした石の像であるという。
明治になり、善生寺から分離し、村社に列格した。
昭和36年(1961)に白髭神社を、昭和40年(1965)に日枝神社、昭和47年(1972)に八幡神社と、旧豊田村に鎮座していた諸社を合祀。
日枝神社は住宅公団による宅地開発に伴って周辺地域が黒川緑地に指定され、昭和52年(1977)旧境内地が東京都に買収された。その資金により、昭和54年(1979)若宮神社の社殿を再建した。
さらに昭和61年(1986)豊田南土地区画事業が開始され、若宮神社の境内地が大幅に減少されることとなった。そのため、平成5年(1993)豊田四丁目に鎮座していた天満神社を若宮神社に合祀するとともに、旧境内地と若宮神社境内に隣接する土地との替地を行い、昔ながらの神社の景観の維持を図った。
写真帖
メモ
JR豊田駅から歩いて10分ほどの距離にある。かつてはのどかな田園の中にあったのだろうが、現在は背後にJR中央本線が走り、周囲を住宅地に囲まれている。社殿もいかにも昭和らしい鉄筋コンクリート造の権現造だが、正面参道からの石段周辺の雑木林だけは昔ながらの風情を残している。境内には土俵があり、秋の例大祭では子供たちの奉納相撲が行われるとのことである。
若宮神社の概要
名称 | 若宮神社 |
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通称 | 豊田若宮神社 |
御祭神 | 仁徳天皇〔にんとくてんのう〕 〈合祀〉 猿田彦命〔さるたひこのみこと〕 大山咋命〔おおやまくいのみこと〕 応神天皇〔おうじんてんのう〕 菅原道真公〔すがわらのみちざねこう〕 |
鎮座地 | 東京都日野市東豊田二丁目32番5号 |
創建年代 | 慶安5年(1652)以前(?) |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 9月9日に近い日曜日 |
神事・行事 | 4月上申の日/初野猿 7月31日/大祓式 8月31日/八幡神社例祭 12月30日/大祓式 ※『平成「祭」データ』による |
交通アクセス
□JR中央線「豊田駅」より徒歩約10分
更新情報
2006.01.29.公開
2017.10.11.改訂、WPに移行。