日比谷神社の創建年代は不詳だが、古くより現在の日比谷公園の大塚あたりに鎮座し、日比谷稲荷と呼ばれていた。慶長11年(1606)日比谷御門建設のため、氏子とともに新橋に遷された。昭和3年(1928)関東大震災後の区画整理のため愛宕下町(現・新橋四丁目)に遷座、さらに平成21年(2009)環状二号線(新虎通り)の工事のため、東新橋に遷座した。
正式名称 | 日比谷神社〔ひびやじんじゃ〕 |
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御祭神 | 豊受大神 瀬織津比賣大神 速開都比賣大神 気吹戸主大神 速佐須良比賣大神 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都東新橋2-1-1 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | http://www.hibiyajinja.com/ |
御由緒
日比谷神社の創建年代は不詳だが、元は現在の日比谷御門内大塚(現在の日比谷公園)に鎮座し、日比谷稲荷明神・旅泊〔さば〕稲荷明神と呼ばれていた。
慶長11年(1606)日比谷御門の造営のため、氏子とともに新橋に移転した。この時は町名も旧地に因んで日比谷町を称していた。寛永7(1630)芝口御門の造営によって町名は芝口に改められたが、社号は日比谷の名を今に残している。
なお、当時は日蔭町と呼ばれた裏新道に面して鎮座していたようだ。『江戸名所図会』には「このところ町巾至って狭し、故に土人日蔭町と字す」とある。
毎年1月6日には神札を捧持して登城する慣例があり、伊達・脇坂・中川・肥後・本堂・毛利・井上・片岡などの諸侯から崇敬されたという。別当は聖護院末の寂静院。
通称の鯖稲荷の鯖は、もともと旅泊(さば)の字を当てていたという。日比谷にあった頃、各地から訪れる旅人のために無病息災の祈願をしたところ、霊験著しかったので旅泊(さば)稲荷と称えられたが、新橋に移って以後、魚の鯖の字が当てられるようになったと伝えられる。
虫歯虫封じの霊験で知られ、鯖断ちをして祈誓すると効験あらたかで、治った人は御礼として鯖を供える習慣があったという。
昭和3年(1928)関東大震災後の都市計画のため、愛宕下町(現・新橋四丁目)の旧社地[Mapion]に遷った。さらに、境内が環状二号線(新虎通り)の用地にかかったため、平成21年(2009)7月第一京浜沿いにある新社地に遷座した。
御朱印
(1)平成17年拝受の御朱印。中央の朱印は「日比谷神社」、下は「日比谷神社印」。
(2)平成22年拝受の御朱印。揮毫・朱印ともに平成17年の御朱印と同じ。
写真帖
メモ
最初に御朱印を拝受したのは新橋四丁目の旧社地にて。まだ、道路工事も進んでおらず、雑居ビルや商店に囲まれた下町らしい雰囲気の神社であった。東新橋の新社殿は、正面は第一京浜、背後はJRの線路が走り、さらに汐留メディアタワーなどがそびえている。環境は激変している。
鳥居の脇の社号標は旧社地のもののようである。また、拝殿の手前には稲荷神社の社があるが、これも旧境内にあったものと思われる。『平成「祭」データ』には境内社として十六魂稲荷の名前のみがあり、これがそうだと思うのだが、未確認である。
日比谷神社の概要
名称 | 日比谷神社 |
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旧称・通称 | 日比谷稲荷社 鯖稲荷 |
御祭神 | 豊受大神〔とようけのおおかみ〕 瀬織津比売大神〔せおりつひめのおおかみ〕 速開都比売大神〔はやあきつひめのおおかみ〕 気吹戸主大神〔いぶきどぬしのおおかみ〕 速佐須良比売大神〔はやさすらひめのおおかみ〕 〈相殿〉 国津大神 天津大神 |
鎮座地 | 東京都港区東新橋二丁目1番1号 |
創建年代 | 不詳 |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 5月第2週の金・土・日曜日 |
神事・行事 | 1月1日/元旦祭 2月3日/節分祭 2月初午日/初午祭 6月30日/夏越の大祓 12月31日/年越の大祓 |
交通アクセス
□汐留駅(都営大江戸線・ゆりかもめ線)より徒歩3分
□新橋駅(JR・銀座線・都営浅草線)より徒歩5分