文治5年(1189)源頼朝の家臣・村田兵部某が当地に土着し、大宮の氷川神社の御分霊を祀ったとも、あるいは頼朝が安達藤九郎盛長に命じて社殿を建立させたとも伝わり、一説には旧別当の高円寺と同じく天文年間(1532~55)に創建されたともされる。末社の気象神社は旧陸軍気象部に祀られていた社で、昭和23年(1948)当社境内に遷座した。
正式名称 | 氷川神社〔ひかわじんじゃ〕 |
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通称 | 高円寺氷川神社〔こうえんじ ひかわじんじゃ〕 |
御祭神 | 素盞嗚尊 〈気象神社〉八意思兼命 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都杉並区高円寺南4-44-19 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | http://www.kisyoujinjya.jp/(気象神社) |
御朱印
(1)平成17年拝受の御朱印。氷川神社と気象神社が併記されている。揮毫の下の朱印は左右とも「氷川神社宮司之印」。
(2)平成21年拝受の御朱印。平成17年のものと同じく氷川神社と気象神社を併記。揮毫の下の印は氷川神社のほうは平成17年のものと同じ「氷川神社宮司之印」、気象神社は天気マークを組み込んだ「気象神社」。
(3)平成29年拝受の御朱印。氷川神社と気象神社の御朱印が別々にいただけるようになった。中央の朱印は八稜鏡に「氷川神社」、上に三つ巴の神紋、右下に「氷川神社宮司之印」。
末社・気象神社の御朱印
(1)平成29年に拝受した御朱印。中央には従来用いられてきた「気象神社」の朱印。「日本唯一」「八」「氷川神社宮司之印」の印が配される。
御由緒
高円寺天祖神社とともに高円寺村の鎮守であった。旧別当は曹洞宗の宿鳳山高円寺。当地はもともと小沢村と称していたが、鷹狩りに訪れた3代将軍・徳川家光がたびたび高円寺で休息したため、高円寺村と改められた。
社伝によれば、文治5年(1189)源頼朝が奥州征伐に向かう途中、家臣の村田兵部某が当地に留まり、農民として土着した。そこに大宮の氷川神社より御神意を伝えるものが訪れ、風光明媚なこの地に祀ったという。あるいは頼朝が安達藤九郎盛長に命じて社殿を建立して祀らせたともいう。天文年間(1532~55)旧別当の高円寺と同じ頃に創建されたという説もある。
明治7年(1874)村社に列格。
大正5年(1916)社殿を改築するが、昭和20年(1945)の戦災で焼失。昭和22年(1947)仮殿を建造した。現在の社殿は昭和46年(1971)の落成である。
末社の気象神社は、昭和19年(1944)馬橋四丁目(現在の高円寺北4)にあった陸軍気象部の構内に創建された。GHQの神道指令により除去されるはずであったが、連合軍宗教調査局の調査に漏れていたため、当局に申請して譲り受け、同23年(1948)9月に遷座祭を執り行った。
御祭神は天の岩戸開きに功績があり、智慧の神として知られる八意思兼命である。他にも思兼神を祀る神社はあるが、気象の神として祀るのはここだけであることから「日本唯一」を称する。
写真帖
メモ
高円寺駅から歩いてすぐの所に鎮座する。
気象神社は、近年は気象予報士の受験をする人などが合格祈願のために気象神社に参拝したりするそうで、結構人気があるようだ。
下駄を飛ばして天気を占うのに因んだものか、絵馬は下駄をかたどっており、これもなかなかかわいらしい。御朱印も近年、天候をイメージしたデザイン文字のものに変わったようだ。
※以前の御朱印は氷川神社と気象神社を併記する形であったが、平成29年現在、氷川神社と気象神社の御朱印を別々にいただけるようになっている。
高円寺氷川神社の概要
名称 | 氷川神社 |
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通称 | 高円寺氷川神社 |
御祭神 | 素盞嗚尊〔すさのおのみこと〕 〈末社 気象神社〉 八意思兼命〔やごころおもいかねのみこと〕 |
鎮座地 | 東京都杉並区高円寺南四丁目44番19号 |
創建年代 | 文治5年(1189) |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 8月下旬の土・日曜日(※高円寺阿波踊りと同日) |
神事・行事 | 1月1日/元旦祭 2月3日/節分祭 2月上午の日/初午祭 6月1日/気象祭 6月30日/大祓祭 12月30日/大祓祭 12月31日/大晦日まつり |
交通アクセス
□JR中央線「高円寺駅」より徒歩約1分