矢口氷川神社は大田区内に鎮座する唯一の氷川神社で、新田神社のすぐ近くに鎮座する。創建年代やその後の歴史については詳らかでないが、古くから矢口村の氏神として崇敬されてきた。新田神社の兼務社で、江戸土時代にも新田神社の別当・真福寺(花光院に合併)が当社の別当を兼ねていた。
正式名称 | 氷川神社〔ひかわじんじゃ〕 |
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通称 | 矢口氷川神社〔やぐち ひかわじんじゃ〕 |
御祭神 | 素盞嗚命 |
社格等 | 旧無格社 |
鎮座地 | 東京都大田区矢口1-27-7 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | http://nittajinja.org/hikawa2/ |
御朱印
御朱印は本務社の新田神社にて拝受できる。
(1)平成26年拝受の御朱印。朱印は「氷川神社」。
御由緒
御祭神
■素盞嗚命
武蔵国一宮・氷川神社の御祭神。天照大神の弟神で、嵐や疫病を司り、それらの災いから人々を守る神として信仰を集める。公式サイトでは「素盞嗚尊」と表記されているが、『平成「祭」データ』と明治の神社明細帳はともに「素盞嗚命」と表記しているので、当サイトではそれに従う。
御由緒
矢口氷川神社は矢口村の産土神で、大田区に現存する唯一の氷川神社である。現在は矢口北町会(千鳥三丁目)、矢口中町会(千鳥二丁目の一部)、矢口南町会(矢口一丁目)を氏子とする。
第二次大戦の戦火で社殿等すべて焼失したため、創建・由緒などはまったくわからない。『新編武蔵風土記稿』には「鎮座の年代詳らかならず」とあり、明治の神社明細帳でも由緒は不詳としている。
氷川神社の氏子地域には、徳川将軍家をはじめとして広く崇敬された旧府社・新田神社がある。現在、氷川神社は新田神社の兼務社であるが、江戸時代も新田神社の別当・義興山真福寺(真言宗、大正年間矢口2丁目の花光院に合併)が当社の別当を兼ねていた。
しかし、新田神社は矢口渡で非業の死を遂げた新田義興の鎮魂のために建立された社であり、地域の産土神とは性格が違う。鎮座の年代は不明だが、里人が村の鎮守として武蔵国一宮・氷川神社の御分霊を勧請したのであろう。
現在の社殿は昭和33年(1958)の再建。この時、神輿も再興された。新田神社は独自の神輿を再興せず、両社の祭礼でこの神輿が渡御している。
この神輿の屋根には、前後に氷川神社の神紋である三つ巴、左右に新田神社の神紋である大中黒が付けられており、産土神である氷川神社への敬意が示されている。ただし、当社の神輿庫が老朽化したため、現在は平成19年(2007)新田神社境内に新築された神輿庫に保管されている。
平成26年(2014)矢口・下丸子地域に多摩川七福神が開設され、矢口氷川神社には大黒天が奉安された。
補足
当社は大田区に現存する唯一の氷川神社だが、かつては近隣の原村(現在の東矢口2・西蒲田7・多摩川2)にも氷川神社があった。現在は多摩川二丁目に鎮座する諏訪神社の境内社となっている。
写真帖
メモ
東急多摩川線の武蔵新田駅から徒歩約5分、新田神社からは約2分ほどの住宅街の中に鎮座する。境内は大田区立の氷川児童遊園となっており、参拝時も近所の子供たちが遊んでいた。地元に溶け込んだ氏神様という印象だ。
矢口氷川神社の概要
名称 | 氷川神社 |
---|---|
通称 | 矢口氷川神社 |
御祭神 | 素盞嗚命〔すさのおのみこと〕 |
鎮座地 | 東京都大田区矢口一丁目27番7号 |
創建年代 | 不詳 |
社格等 | 旧無格社 |
例祭 | 8月第3土・日曜日 |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭 2月中午の日/二午祭 ※『平成「祭」データ』による |
巡拝 | 多摩川七福神(大黒天) |
交通アクセス
□東急多摩川線「武蔵新田駅」より徒歩5分
□東急多摩川線「矢口渡駅」より徒歩10分