杵築大社

杵築大社

杵築大社は、慶安年間(1648~52)松江藩主・松平直政が当地にあった御用屋敷内に出雲国の杵築大社と稲荷社を勧請したことにはじまる。御用屋敷が取り払われた後は、境村の氏神として崇敬された。戦後、出雲の美保神社より事代主大神を勧請し、「えびす・だいこく」の二福神を祀る神社として信仰を集めている。

正式名称 杵築神社〔きづきじんじゃ〕
通称 杵築大社〔きづきたいしゃ〕
御祭神 大国主大神 〈相殿〉事代主大神
社格等 旧村社
鎮座地 東京都武蔵野市境南町2-10-11 [Mapion|googlemap]
最寄り駅 武蔵境(JR中央線)

御由緒

杵築大社(正式名称は杵築神社)は、境村の鎮守。初代松江藩主・松平直政が当地に設けた御用屋敷(下屋敷)に、出雲国の杵築大社(現・出雲大社)を勧請したことを起源とする。因みに出雲国の杵築大社が出雲大社と改称したのは明治4年(1871)のことである。

松平直政は、結城(松平)秀康の三男として生まれた。徳川家康の孫であり、徳川家光の従兄にあたる。直政は家光に寵愛され、武蔵野に鷹場を与えられていた。御用屋敷は12町歩あり、鷹狩りの時などに使われていたという。

松平直政は極めて信仰心が篤く、領国では杵築大社(出雲大社)や日御碕神社の造営、隠岐の後鳥羽上皇陵の修復などを行っている。

慶安年間(1648~52)幕府の繁栄と天下太平を祈願して御用屋敷内に杵築大社と稲荷社(現・松平稲荷社)を勧請・創建した。これが当社の創祀である。

承応年間(1652~55)玉川上水が完成し、武蔵野の新田開発が進んだ。当地でも、御用屋敷奉行・境本チ馬太夫(※チ=馬+希)が長百姓となり、新田の開発に努めた。その子孫・境本仲右衛門は境村(当初は境新田村、元文元年(1736)境村と改称)の名主として活躍したという。

貞享年間(1684~88)当地は幕府の直轄地となったが、杵築大社はそのまま残って境村の鎮守とされ、「大社様」として崇敬を受けた。別当は上保谷村の金輪山宝晃院(西東京市住吉町1、真言宗)であった。

明治になると社号を杵築神社に改め、村社に列格した。

第二次大戦後、神社信仰への啓蒙と地元商店会の発展を願い、出雲の美保神社から事代主大神(えびす様)を勧請した。以来、元からの御祭神である大国主大神(だいこく様)とともに「恵比寿・大黒」を祀る大社として、地元はもとより近隣地域の人々の信仰を集めているという。

補足

上記由緒は、杵築大社社頭の掲示に基づくが、境村の開拓者について、『新編武蔵風土記稿』をはじめとする諸資料では、境本氏ではなく下田三右衛門としている。

三右衛門は上保谷村出身の百姓で、当初は保谷、後に下田姓を名乗った。直政の信頼厚く、鷹狩りの時には案内役を務めたという。御用屋敷が取り払われた後、その跡地が三右衛門に与えられ、出雲新田が開かれて三右衛門が名主になったという。寛文年間(1661~73)境新田と改称。

杵築大社の別当が上保谷村の宝晃院であったのも、三右衛門が上保谷村の出身であったことによるという。

境本氏と下田氏の事績が重なっていること、境村の地名が境本氏に因むという説があることなどを考えると、両者は同一人物のようにも思われるが、未確認である。

御朱印

  • 杵築大社の御朱印

    (1)

  • 杵築大社の御朱印

    (2)

  • 恵比寿神の御朱印

    (3)

(1)平成17年拝受の御朱印。上の朱印は「杵築大社」。下は三つ葉葵の神紋、松江松平家の家紋に由来するものであろう。左に「宮司之印」。

(2)平成28年拝受の御朱印。上の朱印は「杵築大社」、下は三つ葉葵の神紋。

(3)武蔵野吉祥七福神・恵比寿神の御朱印、平成22年拝受。

写真帖

  • 一の鳥居

    一の鳥居

  • 神楽殿

    神楽殿

  • 松平直政公顕彰碑

    松平出羽守直政顕彰公顕彰碑

  • 手水舎

    手水舎

  • 二の鳥居

    二の鳥居

  • 御神木

    御神木 千本銀杏

  • 富士山

    杵築大社の富士山

  • 富士浅間神社

    富士浅間神社

  • 金刀比羅宮

    金刀比羅宮

  • 稲荷神社

    稲荷神社

  • 八坂神社

    八坂神社

  • 御神輿殿

    御神輿殿

  • 拝殿

    拝殿

  • 本殿

    本殿

  • 弁天宮

    弁天宮

  • 松平稲荷社

    松平稲荷社

見どころ

■富士山(富士塚)
「杵築大社の富士山」として武蔵野市の史跡に指定されている。「富士塚」としないのは、ボク石(富士山の溶岩)を貼り付けておらず、富士塚の定義からは外れるためかもしれない。
明治14年(1881)地元をはじめ近隣22町村の丸嘉講の協力によって築かれたもので、三多摩地域では清瀬市中里の富士山神社に次ぐ規模を誇る。山頂には富士浅間神社が祀られている。

■御神木・千本銀杏
二の鳥居の脇にそびえる。5本の主幹のまわりに無数の支幹が生えている。何らかの原因で元の主幹が枯死し、その後、根際から生じたひこばえが現在の主幹になったのであろうという。武蔵野市の天然記念物に指定されている。

■御神輿殿
武蔵野吉祥七福神の恵比寿神を祀る。

メモ

武蔵境駅から歩いて5分ほどの住宅街に鎮座する。近くにはイトーヨーカドーをはじめとする商業施設が多く、社前の道路も結構車が通るのだが、不思議とそういうことを感じさせない落ち着いた境内である。緑が多く、御神木や富士山など見どころも多い。道路をはさんだ参集殿側には松平稲荷社や弁天宮が鎮座している。

杵築大社の概要

名称 杵築神社
通称 杵築大社
旧称 杵築大社
御祭神 大国主大神〔おおくにぬしのおおかみ〕(だいこくさま)
〈相殿〉
事代主大神〔ことしろぬしのおおかみ〕(えびすさま)
鎮座地 東京都武蔵野市境南町二丁目10番11号
創建年代 慶安年間(1648~52)
社格等 旧村社
例祭 10月第1日曜日
神事・行事 1月1日/元旦祭
2月節分の日/節分祭
2月11日/祈年祭・紀元祭
6月中旬/弁天祭
6月30日/夏越の大祓祭
7月中旬/富士講祭
9月1日/風神祭
11月20日/新嘗祭・恵比寿祭
12月23日/大祓祭
巡拝 武蔵野吉祥七福神(恵比寿神)

交通アクセス

□JR中央線「武蔵境駅」より徒歩約5分

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