名称 | 栴檀山 教王院 香園寺 |
---|---|
御本尊 | 大日如来 |
所在地 | 愛媛県西条市小松町南川甲19 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | http://www.koyasudaishi.or.jp/ |
【本尊真言】
おん あびらうんけん ばざらだどばん
【御詠歌】
後の世を思えば詣れ香園寺 止めて止まらぬ白瀧の水
【略縁起】
聖徳太子が父・用明天皇の病気平癒を祈願して建立したと伝えられる。この時、金の衣を着た白髪の老人が飛来し、本尊の大日如来を安置したという。大同年間(806~10)弘法大師が訪れた時、一人の女性が難産で苦しんでいたため、栴檀の香を焚いて加持をしたところ、無事に男児を出産した。以来、子安大師と称して安産・子育ての信仰を集めている。昭和51年(1976)に建立された近代的な大聖堂でも知られている。
香園寺の納経(御朱印)
(1)平成元年拝受の納経。揮毫は金剛界大日如来の種字「バン」に「大日如来」。中央の宝印は三鈷杵に大日如来の種字「バン」。右上の印は「四国第六十一番」、左下は「栴檀山教王院香園寺」。
(2)平成18年に拝受した納経。揮毫・朱印ともに平成元年のものと同じ。
江戸時代の納経
(1)天保11年(1840)の納経。版木押しで「四国第六十一霊刹」「本尊大日如来」「伊豫栴檀山香園寺」。中央に宝印はない。右上の印は「六十一番」、左下は「香園寺印」。
(2)天保12年(1841)の納経。版木押しで「四国第六十一番霊刹」「本尊大日如来」「伊豫栴檀山香園寺」。中央に宝印はない。右上の印は「古議密宗」、左下は「香園精舎」。版木・朱印ともに新調したようである。
明治時代の納経
(1)明治38年(1905)の納経。揮毫は「奉納経」「本尊大日如来」「イヨ(伊予)香園寺」。中央の宝印は火炎宝珠に金剛界大日如来の種字「バーンク」、その周囲を円形に真言で囲んでいるようだが、よくわからない。右上の印は「四国六十一番」、左下は「香園精舎」。
香園寺について
山号 | 栴檀山(せんだんさん) |
---|---|
寺号 | 香園寺(こうおんじ) |
院号 | 教王院(きょうおういん) |
通称 | 子安大師 |
御本尊 | 大日如来 |
所在地 | 愛媛県西条市小松町南川甲19番地 |
創建年代 | 用明天皇の御代(585~87) |
開山 | 聖徳太子 |
宗派等 | 真言宗単立 |
覚え書き
安産と子育ての寺として知られ、地元ではもっぱら「子安大師」と呼ばれる。
境内に入ると昭和51年(1976)に建立された鉄筋コンクリート二階建ての「褐色の大聖堂」が威容を現す。二階が本堂と大師堂を兼ねており、正面の本尊・大日如来を参拝した後、その脇に安置された子安大師(赤児を抱いた弘法大師)に詣る。固定倚子827席という堂々たる建物である。
聖徳太子ゆかりの古刹で、太子が用明天皇の病気平癒を願って創建されたと伝えられる。この時、金衣白髪の老翁が飛来して、本尊の大日如来を安置したという。天平年間(729~49)行基菩薩も訪れたとされる。
大同年間(806~10)弘法大師が当地を巡錫したとき、難産で苦しむ女性がいた。そこで大師は唐から持ち帰った黄金の大日如来像を本尊の胎内に納め、栴檀を焚いて護摩の修法を行ったところ、無事に健康な男の子を産んだ。この仏縁により栴檀山香園寺と称し、「安産・子育て・身代わり・女人成仏」の四誓願と秘法を残したという。
かつては今より北の地にあり、七堂伽藍を備えて6坊を擁したという。しかし、天正の兵火によって全山焼失、寺運は衰えた。大正年間のはじめ、当時の住職であった山岡瑞園師が子安講を創始し、子安大師の四誓願を掲げて行脚し、難産に苦しむ人々を救った。その足跡は国内のみならず、朝鮮・台湾・満州さらに米国にまで及ぶという。その結果、昭和23年(1948)山岡師が遷化するまでに講員は全国に20万人を数えるに至り、寺運興隆して現在に至る。