社伝によれば寛平年間(889~898)の創建。永承6年(1051)奥州に下向する源頼義が戦勝を祈願し、康平5年(1062)凱旋に当たって社殿を修復したと伝えられる。太田道灌は石神井城を攻略するに当たって当社に戦勝を祈り、槇の木を植えた。この槇の木は道灌槇と呼ばれ、今なお社殿の前に聳えている。昭和42年(1967)社殿の移設・増築を行い、現在のような姿になった。
正式名称 | 八幡神社〔はちまんじんじゃ〕 |
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通称 | 荻窪八幡神社〔おぎくぼ はちまんじんじゃ〕 |
御祭神 | 応神天皇 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都杉並区上荻4-19-2 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | http://www.amy.hi-ho.ne.jp/ogikubo-hachiman/ |
御朱印
(1)平成17年拝受の御朱印。中央の朱印は「荻窪八幡神社」、右下に社殿と道灌槇のスタンプ。
御由緒
上荻窪村の鎮守。旧別当は本山派修験の松永山大泉院(廃寺)だった。社伝によれば寛平年間(889~898)の創建とされる。
永承6年(1051)鎮守府将軍・源頼義は前九年の役の平定のために奥州に向かう途中、当地に宿陣して戦勝を祈願した。康平5年(1062)凱旋に際しては社殿を修築して盛大に祭礼を行い、武将を留めて長く祀らせたと伝えられる。神社の南一帯はその館の跡で後世まで「城山」と呼ばれたが、今はマンションが建ち並び、その面影をうかがうことは難しいという。
文明9年(1477)太田道灌は石神井城の豊島氏を攻略するにあたり、当社で軍神祭を行って戦勝を祈った。御神木の高野槙はこの時道灌が植えたものと伝えられ、道灌槇と呼ばれている。
天正19年(1591)柏木左近は命を受けて当地の検地を行うにあたり、当社の神徳を崇めて社殿を修理するとともに、別当の大泉院を置いた。天和元年(1681)大先達安秀が社殿を修復、享保15年(1730)小張吉兵衛を願主として御神体を再造した。
明治元年(1868)神仏分離令、明治5年(1872)に修験禁止令が出されたため、別当大泉院は復飾して当社の神職となった。
明治7年(1874)村社に列格。明治28年(1895)に本殿、昭和11年(1936)拝殿を改築した。
昭和43年(1968)明治維新百周年を記念して、社殿を移設・増築、神門・回廊・渡殿等を新築した。
写真帖
メモ
青梅街道の南側に鎮座する。正面の参道は荻窪警察署前の交差点を少し南に入ったところにあり、石段の上に大きな鳥居が聳えている。豊かな鎮守の森に荘厳な木造社殿が建つ。拝殿前を回廊が囲む現在の姿は昭和後期以降のもののようだが、大社に劣らぬ神域の尊厳を保っており、地域の人々の崇敬の念が伝わってくる。
荻窪八幡神社の概要
名称 | 八幡神社 |
---|---|
通称 | 荻窪八幡神社 |
御祭神 | 応神天皇〔おうじんてんのう〕 |
鎮座地 | 東京都杉並区上荻四丁目19番2号 |
創建年代 | 寛平年間(889~898) |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 9月15日に近い日曜日 |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭・新春祈禱 1月第2日曜日/古札奉焼祭(どんど焼) 2月3日/節分祭 2月初午の日/初午祭 2月17日/祈年祭 6月30日/水無月の大祓 10月15日/摂社天祖神社(南荻窪)大祭 10月17日/末社秋葉神社祭 11月23日/勤労感謝祭(秋祭) 12月31日/師走の大祓 |
交通アクセス
□JR中央線・東京メトロ丸ノ内線「荻窪駅」より徒歩約15分