奥澤神社

奥澤神社

奥澤神社は、奥沢新田村の鎮守。室町時代、世田谷城主吉良氏の家臣・大平氏が奥沢城を築いたとき、世田谷郷東部の鎮守として勧請したと伝えられる。明治43年(1910)奥沢本村の鎮守・子安稲荷神社を合祀し、奥澤神社と改称した。例大祭は厄除けの大蛇お練りで知られる。
世田谷区の神社

正式名称 奥沢神社〔おくさわじんじゃ〕
御祭神 誉田別命 〈相殿〉宇賀魂命
社格等 旧村社
鎮座地 東京都世田谷区奥沢5-22-1 [Mapion|googlemap]
東京は江戸時代以来、約400年にわたり日本の中心として繁栄してきた。そのため、江戸幕府や明治政府から特別の崇敬を受けた重要な神社がいくつ...
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御朱印

  • 奥澤神社の御朱印

    (1)

  • 奥澤神社の御朱印

(1)平成17年拝受の御朱印。朱印・揮毫ともに「奥澤神社」。

(2)平成28年拝受の御朱印、書き置きのみの対応。朱印・揮毫ともに平成17年のものと同じ。

御由緒

奥澤神社は、元は八幡社と称し、奥沢新田村の鎮守であった。旧別当は下沼部村の明楽山密蔵院(大田区田園調布南)。

奥沢新田村は寛文2年(1662)に奥沢村から奥沢村から分村して成立したが、天保年間(1830~44)以降、奥沢新田村を奥沢村、元の奥沢村を奥沢本村というようになった。明治9年(1876)合併して奥沢村となっている。

創建年代は不詳だが、室町時代、世田谷城主・吉良氏の家臣である大平氏が奥沢城を築いた際、世田谷郷東部の鎮守として勧請したとされる。

明治7年(1874)村社に列格。同43年(1910)10月、奥沢本村の鎮守・子安稲荷神社を合祀、社号を奥澤神社と改めた。現在の本殿は昭和45年(1970)の再建で、室町時代の様式を採用しているという。

9月の例大祭には厄除け大蛇のお練りが行われる。藁で編んだ長さ約10mの厄除けの大蛇を担いで練り歩くというもので、以下のような伝承が残されている。

江戸時代の中頃、奥沢の辺りで疫病が流行した。ある夜、名主の夢枕に八幡大神が現れ、「藁で大蛇を作り、村人が担いで村を巡行するとよい」と告げた。さっそく新藁で大蛇を作り、村内を巡行したところ、たちまち疫病が収まったという。

戦前から戦後にかけて中断していたが、昭和33年(1958)復活した。平成5年(1993)世田谷区の無形民俗文化財に指定された。

境内には「八幡小学校発祥之地」の碑がある。世田谷区立八幡小学校は、慶応末期、下沼部村向河原の法師某が社寮に土地の子弟を集め、読み書き算盤を教えたことを淵源とする。創立は明治12年(1979)12月で、社寮の一部を改修して認可を得、神社に因んで八幡小学校と命名した。同17年(1984)神社の隣地に校舎を建設、同35年(1902)現在地に移転した。なお、当社の社務所は昭和3年(1928)旧八幡小学校の校舎を改築して社務所にしたものという。

写真帖

  • 鳥居

    鳥居

  • 厄除け大蛇

    厄除け大蛇

  • 神楽殿

    神楽殿

  • 八幡小学校発祥之地碑

    八幡小学校発祥之地碑

  • 弁財天社

    奥澤弁財天社

  • 拝殿

    拝殿

  • 本殿

    本殿

メモ

東急目黒線の奥沢駅から150mほど北に鎮座する。自由が丘駅からも歩いて5分ほどの街中なのだが、神社の境内は緑に覆われ、木々が日差しを遮っている。
自由通りに面した鳥居には、藁で編まれた厄除けの大蛇が掛けられ、ユーモラスな顔が道行く人を見下ろしている。例大祭で町内を練り歩いた厄除け大蛇は1年間本殿に安置され、その後1年間は鳥居に掛けられるのだという。

奥澤神社の概要

名称 奥沢神社
旧称 奥沢八幡 八幡神社
御祭神 誉田別命〔ほんだわけのみこと〕
〈相殿〉
宇賀魂命〔うがのみたまのみこと〕
鎮座地 東京都世田谷区奥沢五丁目22番1号
創建年代 室町時代
社格等 旧村社
例祭 9月第2土曜日と翌日曜日
神事・行事 2月上午の日/初午祭
4月第1日曜日/祈年祭
11月23日/新嘗祭
※『平成「祭」データ』による

交通アクセス

□東急目黒線「奥沢駅」より徒歩約2分
□東急東横線・大井町線「自由が丘駅」より徒歩約5分

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