東玉川神社

東玉川神社

正式名称 東玉川神社〔ひがしたまがわじんじゃ〕
御祭神 建御名方命 大山咋命
社格等 旧村社
鎮座地 東京都世田谷区東玉川1-32-9 [Mapion|googlemap]

【由緒概要】
東玉川神社は、元は諏訪神社と称していた。等々力村の飛地・諏訪分の鎮守であったが、明治41年(1908)玉川神社に合祀、廃社となった。昭和3年(1928)に再建されるが府庁の許可を得ることができなかった。そこで府庁と協議を行い、昭和16年(1941)野毛の日枝神社を遷座する形で許可を取り、東玉川神社と改称した。社殿は世田谷区の有形文化財。

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東玉川神社の御朱印

  • 東玉川神社の御朱印

    (1)

  • 東玉川神社の御朱印

    (2)

(1)平成17年拝受の御朱印。中央の朱印は「東玉川神社」。

(2)平成23年拝受の御朱印。中央の朱印は「東玉川神社」だが、平成17年のものとは書体が変わっている。

東玉川神社について

名称 東玉川神社
旧称 諏訪神社/日枝神社
御祭神 建御名方命〔たけみなかたのみこと〕
大山咋命〔おおやまくいのみこと〕
鎮座地 東京都世田谷区東玉川一丁目32番9号
創建年代 寛永年間(1624~44)
社格等 旧村社
例祭 8月25日前後の日曜日
神事・行事 2月3日/節分祭
旧2月上午の日/初午祭
6月30日/大祓
7月21日/御嶽祭
12月31日/大祓

御由緒

東玉川神社は、等々力村字諏訪分の鎮守であった諏訪神社を起原とする。創建年代などは詳らかでない。旧別当は満願寺の塔頭・西光寺(廃寺)。

諏訪分は等々力村の飛地で、字の名は諏訪神社が鎮座していたことによる。世田谷城主吉良氏の家臣・大平清九郎の砦があったことから大平分とも呼ばれたという。

明治の神仏分離により西光寺から独立、無格社とされるが、明治41年(1908)旧等々力村内にあった他の無格社2社(天祖神社・御嶽神社)とともに熊野神社に合祀された。これに伴い、熊野神社は村名(玉川村)に因んで玉川神社と改称した。

その後、当地は急速に発展を遂げ、かつては10軒ほどだったという人口も急増。氏子の間に地域の鎮守として諏訪神社再建を望む声が高まった。昭和3年(1928)に社地を確保、諏訪神社を再興した。しかし府庁の許可が下りず、公認の神社とすることができなかった。やむなく府庁と協議の上、昭和16年(1941)野毛の日枝神社を遷座する形で許可を得ることとなった。

諏訪分は昭和7年(1932)の東京市編入に際して東玉川となっていたことから、地名に因んで東玉川神社と改称。昭和19年(1944)9月、村社に昇格した。

この野毛の日枝神社は、寛永年間(1624~44)井伊直孝が近江国の日吉大社より勧請したものとされる。

現在の社殿は、昭和14年(1939)渋谷氷川神社の旧社殿を譲り受けて移築したもの。向拝天井には見事な火焰龍神の天井画があり、弘化2年(1845)の年記がある。建築年代は明らかでないものの江戸時代後期の建築と推定され、世田谷区の有形文化財に指定されている。

写真帖

  • 鳥居

    鳥居

  • 神楽殿

    神楽殿

  • 拝殿

    拝殿

  • 火焰龍神

    火焰龍神(向拝天井絵)

  • 本殿

    本殿

メモ

社殿は小ぶりだが、権現造りで随所に彫刻が施された見事なもの。地域に溶け込んだ神社という印象がある。宮司さんは気さくでお話好きな方で、神社のことや宮司になった経緯などいろいろ興味深い話をしてくださった。


※掲載の情報は最新のものとは限りません。ご自身で確認をお願いします。

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