讃岐小白稲荷神社 | 東京都港区

讃岐小白稲荷神社

(平成24年撮影)

讃岐稲荷は、もともと高松藩松平家の下屋敷の邸内社で、後に芝新網町の住民に開放されたと伝えられる。明治3年(1870)鉄道の敷設に伴い現社地に遷座する。さらに昭和13年(1938)隣接して鎮座していた小白稲荷神社を合祀し、讃岐小白稲荷神社となった。

正式名称 稲荷神社〔いなりじんじゃ〕
通称 讃岐小白稲荷神社〔さぬき こはく いなりじんじゃ〕
御祭神 倉稲魂大神
社格等 旧無格社
鎮座地 東京都港区浜松町2-9-8 [Mapion | googlemap]
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目次

御朱印

讃岐小白稲荷神社の御朱印 讃岐小白稲荷神社の御朱印 none
(1) (2)
(1)平成24年拝受の御朱印。朱印は「正一 讃岐 小白 稲荷神社」、右下に「東京浜松町」。
(2)令和6年拝受の御朱印。朱印は(1)と同じ。

讃岐小白稲荷神社について

神狐

かつての面影を残す石の神狐

御祭神

■倉稲魂大神

御由緒

『東京都神社名鑑』や神社境内の「神社鎮座由来記」によれば、讃岐小白稲荷神社の由緒は以下のようなものである。

讃岐稲荷は讃岐国高松藩松平家の下屋敷の邸内社で、明治以降、芝新網町に開放されたという。「讃岐」の名は、高松藩邸の邸内社であったことに因む。

創建年代については、「神社鎮座由来記」は文政の頃(1818~31)とするが、『東京都神社名鑑』は恐らく寛永年間(16245~44)であろうとする。

明治3年(1870)旧社地が鉄道敷設の敷地となったため、現在地へ遷座した。

小白稲荷は古川沿いの芝湊町(現在の浜松町2丁目13番地)に鎮座していたが、昭和13年(1938)区画整理のため、協議の上、讃岐稲荷に合祀された。

昭和20年(1945)戦災のため、社殿が焼失。現在の社殿は昭和40年(1965)に再建されたものである。

補足考察

讃岐小白稲荷神社についてのまとまった資料は少ないのだが、『御府内備考』や町方書上・寺社書上、明治期の地図、東京都公文書館の資料などを調べることで、上記の御由緒とは少し異なる歴史がある程度わかってきた。以下、その内容を整理する。

1.芝新網町について

まず、当社が鎮座する芝新網町(現在の浜松町2丁目の一部)について見ておく。

徳川家康関東入部の頃、この辺り一帯は芝浦と呼ばれ、漁民が多く住んでいた。寛永3年(1626)名主・大場伝右衛門の支配する町が幕命により江戸城へ白魚を納めるようになった。さらに同6年(1629)徳川家光が日光社参で下総国古河城に逗留した際にも白魚を献上し、翌7年(1630)100間(約181m)四方の浜端を網干場として与えられた。同11年(1630)町奉行に願い出て網干場として与えられた地所に町割りを行い、新網町と唱えた。

讃岐小白稲荷神社切絵図(部分)

新網町の中央には入堀があり、その北を新網町北側(北新網町・新網北町)、南を新網町南側(南新網町・新網南町)と呼んだが、これは通称であって、正式には南北合わせて新網町とされた。因みに現在の社地は明治初頭に入堀を埋め立ててできた土地にある。

寛文7年(1667)金杉橋際に御多門を設けることになり、新網町南側のうち、古川沿いの東西100間、南北8間の土地が御用地となり、土手が築かれた。元禄9年(1696)土手は取り払われ、跡地は坊主衆に与えられて芝新同朋町となった。宝永4年(1704)召し上げられて甲府藩柳沢氏の下屋敷となるが、同6年(1706)取り払われ、再び坊主衆の拝領町屋敷となった。その後、湊町と改称。つまり、上記由緒で小白稲荷が鎮座していたとされる芝湊町も、元は新網町の一部であった。

明治になると漁業の不振や流入民の急増でスラム化が進み、四谷鮫河橋(現・新宿区)・下谷万年町(現・台東区)とともに三大貧民窟と呼ばれるようになった。芝新網町のスラムは東海道に近く、また周辺に増上寺を初めとする多くの寺社があったため、願人坊主などの大道芸人が多かったのが特徴という。

しかし、芝浦工業地帯の発展や関東大震災によってスラムは解体し、現在は雑居ビルや飲食店が建ち並ぶ商業地となっている。

2.高松藩松平家の町屋敷について

上記の由緒では、讃岐稲荷は高松藩松平家の下屋敷の邸内社であったというが、江戸時代の切絵図などを見ても新網町の周囲にあるのは小田原藩上屋敷、紀州藩下屋敷、二本松藩蔵屋敷で、高松藩の下屋敷は見当たらない。

『御府内備考』によれば、新網町北側の東部には松平讃岐守家(讃岐高松藩松平家)のお抱え町屋敷があったという。

江戸時代の大名の江戸屋敷(藩邸)には、幕府から与えられた土地に建てる拝領屋敷の他、民間の土地を購入して建てる抱屋敷があった。抱屋敷は拝領屋敷と違い、購入以前に掛けられていた年貢や諸役を負担する必要があった。多くの場合、抱屋敷は近郊の農村部に設けられたが、江戸の中心部の町人地に購入する場合もあった。

つまり、讃岐稲荷の由緒にある「高松藩松平家の下屋敷」とはこの高松藩のお抱え町屋敷のことである。この町屋敷の東側には汐留地があり、時期は不明だが高松藩は幕府に願い出てこれを埋め立てた。讃岐稲荷はこの埋め立て地に鎮座していたらしい。

高松藩の町屋敷は正徳6年(1716)町人に売却された。よって、讃岐稲荷が新網町に開放されたのは江戸時代中期以前ということになる。

3.江戸時代の讃岐稲荷

文政年間(1818~31)の町方書上によれば、讃岐稲荷の創建年代についてはわからないとする。ただ、讃岐稲荷は上記の高松藩が埋め立てた土地に鎮座しており、高松藩の町屋敷から勧請したので「讃岐稲荷」と呼ばれるようになったと伝えられているという。

延享2年(1745)に社殿が再興されたが、その時の棟札には「武州豊嶋郡飯倉之郷汐留北新網町、別当赤坂氷川社僧本山派修験本覚院四世保順」とあったという。

そこで文政寺社書上を見ると、赤坂氷川神社の社僧に本覚院がある。それによると、寛永年間(1624~44) の本覚院保元から享保14年(1729)の四代保順まで芝新網町讃岐稲荷の別当であったが、同年の赤坂氷川社造営に際し、保順が別当・大乗院実延の弟子であったことから当地に引き移り、社僧として勤めることになったとある。

本覚院初代の保元は寛永19年(1642)に示寂しているので、この記事を信じるならば、すでに寛永年間には埋め立て地に遷座し、本覚院が管理していたということになる。しかし、高松藩初代藩主・松平頼重が常陸国下館の藩主となったのが寛永16年(1639)、高松に転封となったのが1642年なので、そのまま信じることはできない。

寛永年間というのは本覚院の創建年代であって、その後、正徳6年までのどの時点かで町屋敷から新規埋め立て地に稲荷社が遷され、本覚院が別当を務めるようになったということであろう。

町方書上によれば、その後も度々火災で類焼し、宝暦6年(1756)に再建された後、天明6年(1786)に修復されたが、この時には別当もなく、町人の所有地内にあったという。

文政年間当時、本殿は1間半(約2.7m)四方の土蔵造、拝殿は2間(約3.6m)四方。御神体はそれぞれ3寸(約9cm)の木の立像5体が一つの岩の上に立っていた。

4.江戸時代の小白稲荷

小白稲荷は、文政寺社書上に芝大神宮の境内末社としてその名が見える。それによると、小白稲荷は新網町の鎮守であったが、万治元年(1658)芝大神宮境内に遷されたという。

因みに万治元年の時点では、湊町は新網町の一部であった。とすれば、遷座以前の小白稲荷は、神社の伝承にあるように後の湊町の範囲に鎮座していたのかも知れない。

文政年間当時、社殿は間口9尺(約2.7m)、奥行2間3尺(約4.5m)で、鳥居と玉垣があった。

5.明治以降

明治3年(1870)讃岐神社の社地が鉄道用地となったため、現社地に遷座した。新しい社地は新網町北側と南側の間の入堀を埋めたところである。

同じ頃、小白稲荷神社も隣接地に遷座してきたようで、明治10年(1877)の「府社明細」には、芝大神宮の兼勤社として芝新網町南側13番地(後の芝新網町北側13番地)の小白稲荷神社、同町北側13番地(後の芝新網町北側14番地)の讃岐稲荷神社が記されている。

大正元年(1912)の『東京市及接続郡部地籍地図』で新網町附近を見ると以下のようになっている。

讃岐小白稲荷神社地図(大正)

東京市及接続郡部地籍地図(大正元年)国会図書館デジタルコレクション

上の地図の赤丸の部分が讃岐稲荷と小白稲荷の社地である。周辺を拡大すると以下の通り。

讃岐小白稲荷神社地図(明治)

東京市及接続郡部地籍地図(大正元年)国会図書館デジタルコレクション(拡大)

14番地に「サヌキ稲荷」とある。13番地に神社の表記はないが、他の地図には鳥居のマークがついているものがある。

小白稲荷神社は明治6年(1873)芝大神宮の「社号改正の伺」に境外摂社として記載がある。また、明治32年(1899)の「芝区神社調」には名前がない。讃岐稲荷神社が独立した神社(無格社)出会ったのに対し、小白稲荷神社は芝大神宮の境外社という扱いだったと思われる。この地図に小白稲荷の表記がないのはそのためかもしれない。

明治時代、新網町は三大貧民窟の一つに数えられていた。明治30年(1897)報知新聞が連載した当地のレポート「昨今の貧民窟(芝新網町の探査)」の中に讃岐稲荷と小白稲荷に触れた部分があり、当時の両社の様子が窺える。『日本社会福祉の基礎的研究』(童心社)に掲載されているので、該当部分を引用してみよう。

南十四番地に讃岐稲荷ととなふる神社あり。間口二間余り奥行三間余にして同所には珍らしき建物なるが古昔此の辺りに讃岐候の下屋敷ありしを以てありと云う。何時の頃よりいひ伝へけん、此神霊、著しく何事によらず利益を与ふること多しとの評判高く、祈願するもの少なからざる中にも芸妓男芸人の参詣するもの引きも切らず、近年一層信者を増したるが如し。今の神殿は明治廿一年の新築にかゝり、近年信者の寄付せし石の玉垣も全く出来せしかば一人神々しさ増しぬるに、これに隣れる一珀稲荷(※小白稲荷のことであろう)は何故にや参詣者少なく、赤の鳥居も色あせて倒れん計りに朽ち果て、屋根傾きて見る影もなし。流石の神仏にも貧富の差は免れざるものにや。

新網町のスラムは大道芸人が多いことが特色だった。讃岐稲荷がそういう人たちの信仰を集めて繁栄する一方、隣接する小白稲荷は衰退していたことがわかる。

このように明治初年以来、両社は現在の地に隣接して鎮座していたが、昭和13年(1938)小白稲荷神社を讃岐稲荷神社に合祀した。

写真帖

社頭風景

JR浜松町駅の南口から歩いてすぐのところに讃岐稲荷神社が鎮座している。社殿は一つだが、入口は二つある。元は向かって右の建物の敷地も小白稲荷の境内だった。向かって左の建物は社務所。

出世お獅子台

社務所脇、境内北西の交差点に面した「出世お獅子台」。平成19年に奉納されたようで、地域の諸事安全の守護神、通行する人の厄除け開運守としてかわいがってください、とのこと。

讃岐稲荷神社の鳥居

境内に向かって左側の鳥居には「讃岐稲荷神社」の額が懸かっている。

小白稲荷神社の鳥居

右側の鳥居には小白稲荷神社の額が懸かっている。

狛犬(獅子)

両鳥居の左右に一体ずつ、ライオンの姿をした狛犬(獅子?)が安置されている。讃岐稲荷側が阿形、小白稲荷側が吽形。平成24年に奉納されたとのことだが、同年7月に参拝したときにはなかったので、その後のことだろう。

社殿

境内に入ると中央に社殿がある。昭和40年(1965)再建。

社殿の扉

社殿は一棟だが扉は二つあり、それぞれに扁額が掲げられ、鈴の緒がある。

讃岐稲荷神社の扁額

向かって左側の扉の上に掲げられた「讃岐稲荷神社」の扁額。

小白稲荷神社の扁額

向かって右側の扉の上に掲げられた「小白稲荷神社」の扁額。

神狐

社殿の両脇に神狐が安置されているが、向かって右側の神狐は木の葉に隠れてしまっている。

手水舎

社殿に向かい合うように手水舎がある。

御塚

手水舎の脇の御塚。

力石

力石。港区の登録有形民俗文化財。

神狐

神狐

境内にはかつての信仰を偲ばせる小さな神狐の石像が点在している。

メモ

うにうにさんから御朱印の授与が始まったという情報をいただき、参拝した。しかし、宮司は芝大神宮の名誉宮司さんで大変お忙しいらしく、初回参拝時は日光へ出張中とのことであった。そのため、二度目の参拝時は事前に連絡し、時間を合わせて伺った。その時も忙しい公務の間を縫って来ていただいたようで、慌ただしくて申し訳ないとおっしゃったのだが、こちらが恐縮してしまった。
浜松町駅のすぐ近く、ビルが建ち並ぶオフィス街の中のこぢんまりとした神社。境内入り口には二つ鳥居があり、向かって左の鳥居には「讃岐稲荷神社」、右の鳥居には「小白稲荷神社」の扁額が掲げられている。拝殿は一つだが、扉は二つで、やはり向かって左に讃岐稲荷、右に小白稲荷の扁額が懸かる。いかにも庶民的な雰囲気のお社である。
※追記:社務所不在の時は芝大神宮で拝受できるとのこと。(H28.4.11)

讃岐小白稲荷神社の概要

名称 稲荷神社
通称 讃岐小白稲荷神社
旧称 讃岐稲荷神社
御祭神 倉稲魂大神〔うかのみたまのおおかみ〕
鎮座地 東京都港区浜松町二丁目9番8号
創建年代 寛永年間(1624~44)
社格等 旧無格社
例祭 5月14日・15日

交通アクセス

□浜松町駅(JR・東京モノレール)より徒歩1分
□大門駅(都営浅草線・都営大江戸線)より徒歩4分
□芝公園駅(都営三田線)より徒歩8分

更新履歴

2013.10.13.公開
2019.09.29.更新、WPに移行
2024.08.17.改訂、御朱印を追加、画像を差し替え

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