もともと小山村全体の鎮守は妙見八幡社(現在の小山八幡神社)だったが、延宝・元禄(1673~1704)の頃、「信仰上の軋轢」により石井助太夫が妙見八幡から八幡神像を持ち出し、字三谷の鎮守とした。
正式名称 | 八幡神社〔はちまんじんじゃ〕 |
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通称 | 三谷八幡神社〔さんや はちまんじんじゃ〕 |
御祭神 | 誉田別尊 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都品川区小山5-8-7 [Mapion|googlemap] |
御朱印
(1)平成19年拝受の御朱印。揮毫は中央に「三谷八幡神社」、右に「武蔵國荏原郡小山五丁目鎮座」。中央上の朱印は神璽。下は「三谷八幡神社印」で、「八」が鳩になっている。
(2)平成28年拝受の御朱印。中央上の朱印は神璽、下は「三谷八幡神社之印」。右に「武蔵國荏原郡小山五丁目鎮座」。
御由緒
もともと三谷を含む小山村の鎮守は妙見八幡社(小山八幡神社)であった。長元3年(1030)源頼信の創建と伝え、太田道潅なども崇敬したと伝えられる。
延宝(1673~81)から元禄(1688~1704)の頃、「信仰上の軋轢」により石井助太夫が妙見八幡社の八幡神像を持ち出して出世稲荷社(伏見稲荷神社)の境内に遷し、小山村字三谷の鎮守としたという。なお、出世稲荷は地主稲荷とも呼ばれ、文明年間(1469~87)の創祀とされる。
明治18年(1885)無格社に列し、昭和7年(1932)村社に昇格。昭和5年(1930・昭和2年とも)建造の旧社殿は同20年(1945)の戦災で焼失したものの、土蔵造りの本殿に守られて御厨子・御霊代は無事であった。現在の社殿は昭和32年(1957)の再建である。
9月に行われる例大祭は「小山両社祭」と称し、小山八幡神社とともに神輿の連合渡御などが盛大に行われる。
資料
荏原町誌
三谷八幡宮(小山)
小山小学校の裏手に在り、元禄年間此地の住人石井助太夫と云ふ人が池の谷八幡宮より分祀したと云ふ、それには当時の住民に宗教上の軋轢が元となつて移騒を起したと云ふ説もあるが今は氏子を二分して円満に行つて居る、勿論村社ではないが市街地の中央にあるので最近殿堂の新築も目論まれて居るから近く荘厳な神社となるであらう。
荏原区史
小山八幡(山谷八幡)(村社 小山五丁目八十一番地)
神社昇格申請書によれば
「当社は古来小山八幡と称し、其の創立の年月不詳なりと雖も、古老の伝説に依れば、徳川初期の建設に係るものゝ如し」
と記してあるのみで、その創立を知る事が出来ない。
而し茲に創立に就て古老の伝説の二、三を挙げてみやう。
一つは徳川初期に、氏子の人等の軋轢があつて、そのために池ノ谷八幡よりこゝに分祀したと言はれて居る。
一つは延享元年に、この土地の住民石井助太夫なるものが発起となつて、社殿を現在の場所へ改築して、池ノ谷八幡より御神体を分祀したとも伝へられてゐる。
又他の一説には、徳川初期此の地方は鷹狩の遊猟地とされてゐたのであるが、たまたまこの遊猟地の近くに古い祠があつた。是れを土地の人達が将軍より貰受けて、そうして此所に祀つたのが其の始であるとも言つて居る。
現在内陣に安置されて在る所の、高さ三尺余もある昔時の社や、一尺位の白馬に跨る誉田別尊の御本体等を拝すると、何か由緒のあるものゝやうにも思はれ、単なる土民の作でないやうな気もする。
(後略)
写真帖
メモ
参拝をして、御朱印をいただく間も、ポツポツとお参りの人がいる。他でもそうだが、住宅地の小さめの神社というのはお参りしやすいからだろう。と同時に、やはり神社の雰囲気というのも影響していると思う。手入れが行き届いた神社はお参りしやすい(お参りしようかという気になりやすい)ものではないだろうか。晩秋の参拝だったが、拝殿前には菊の鉢植えが並んでいた。こういう配慮も、神職の人柄がうかがえて、嬉しいものである。
三谷八幡神社の概要
名称 | 八幡神社 |
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通称 | 三谷八幡神社 |
旧称 | 小山八幡 |
御祭神 | 誉田別尊〔ほんだわけのみこと〕 |
鎮座地 | 東京都品川区小山五丁目8番7号 |
創建年代 | 長元3年(1030)小山八幡神社創祀 延宝・元禄(1673~1704)の頃、分祀 |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 9月6日に近い土・日曜日(小山両社祭) |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭 5月7日/春祭 6月28日/大祓 12月28日/大祓式 12月31日/古神札焼納祭・除夜祭 |
交通アクセス
□東急目黒線「武蔵小山駅」より徒歩約6分