旧別当・宝昌寺の火災で記録が焼失したため由緒などは不詳だが、天慶4年(941)の創建、慶長4年(1999)社殿再建と伝えられている。現在の社殿は昭和33年(1958)に改築されたものである。
正式名称 | 須賀神社〔すがじんじゃ〕 |
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通称 | 成宗須賀神社〔なりむね すがじんじゃ〕 |
御祭神 | 須佐之男命 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都杉並区成田東5-29-3 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | http://www.narimunesugajinjya.com/ |
御朱印
平成23年拝受の御朱印。中央の朱印は「須賀神社」、上は三つ巴の神紋。
御由緒
成宗村字矢倉の鎮守。別当は曹洞宗の白龍山宝昌寺(成田西3)であった。
旧成宗村は中野成宗・時宗・正宗の三兄弟が矢倉台の見張り役として派遣され、原野を開墾したことに始まったと伝えられる。字ごとに鎮守があり、白幡が成宗白山神社、矢倉が当社、尾崎が尾崎熊野神社であった。
安政年間に宝昌寺の火災で記録を焼失したため創建については不詳だが、天慶4年(941)に創建され、慶長4年(1599)に再建されたと伝えられる。あるいは近世初期に社殿を建立したともいう。
江戸時代以前は牛頭天王社と称していたが、明治の神仏分離により須賀神社と改称した。明治7年(1874)村社に列格。
現在の社殿は昭和33年(1958)に造営されたもので、この時、旧拝殿を改築して神楽殿とした。
隣接する成宗弁財天社は、成宗村ができた頃、弁天池のほとりに祀られたものとされる。長く弁天講の人々によって祀られてきたが、現在は須賀神社の役員が管理しているという。境内には大正7年ごろに取り壊された成宗富士(富士塚)の手水鉢、惣同行の碑、大日如来像、浅間神社などが残っている。
写真帖
メモ
都立杉並高校の北側に鎮座する。住宅地の中ではあるが、木造の社殿や緑の多い境内のため、いかにも郊外の神社という風情が残る。
初めての参拝は平成18年だったが、この時には御朱印は授与していないということであった。平成23年、近くに立ち寄ってついでに参拝をした際、念のために社務所を訪ねたところ、快く御朱印をいただくことができた。
※平成28年時点で御朱印の対応をしていないという情報あり。
成宗須賀神社の概要
名称 | 須賀神社 |
---|---|
通称 | 成宗須賀神社 |
旧称 | 牛頭天王社 |
御祭神 | 須佐之男命〔すさのおのみこと〕 |
鎮座地 | 東京都杉並区成田東五丁目29番3号 |
創建年代 | 天慶4年(941) |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 8月最終土・日曜日 |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭 1月中旬/どんど焼き 2月3日/節分祭 2月中旬/初午祭・祈年祭 6月中旬/夏越の大祓 11月23日/新嘗祭 12月15日/年越の大祓 |
交通アクセス
□東京メトロ丸ノ内線「南阿佐ヶ谷駅」より徒歩約6分
□JR中央線「阿佐ヶ谷駅」より徒歩約13分