石清水八幡神社(玉川)

石清水八幡神社

石清水八幡神社は、貞観元年(859)河野深躬により勝岡に勧請され、勝岡八幡宮と称された。永承年間(1746~53)源頼義が、山城国の男山によく似た現社地に、石清水八幡宮に倣って社殿を造営し、石清水八幡宮と改称した。伊予国の一国一社八幡宮で、江戸時代以前は四国八十八ヶ所の第57番札所であった。

正式名称 石清水八幡神社〔いわしみずはちまんじんじゃ〕
御祭神 品陀和気命 足仲彦命 息長帯比売命
社格等 旧県社
鎮座地 愛媛県今治市玉川町八幡日坂乙29・30 [Mapion|googlemap]
最寄り駅 伊予富田・今治(JR予讃線)
バス停:石中寺・大須木
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御朱印

  • 石清水八幡神社の御朱印

    (1)

(1)平成21年拝受の御朱印。朱印は「石清水八幡神社之印」。

昔の御朱印

江戸時代の納経(御朱印)

  • 石清水八幡神社の納経

    (1)

  • 天保11年の納経

    (2)

(1)享保11年(1726)の納経(御朱印)。揮毫は「奉納普門品 一巻」「八幡宮御宝前 同国」「別当府頭山乗泉寺」。乗泉寺は旧別当・栄福寺(現57番札所)の旧称。中央に宝印はない。下の黒印は「守圓」。

(2)天保11年(1840)の納経(御朱印)。文字部分は版木押しで、扁額を模した枠の中に「伊豫一国一社」「八幡宮広前」「別当栄福寺」。中央上の宝印は、中央に「石清水社」、両脇に4つの梵字がある。右側は「キリーク」と「ア」、左側は「バン」「カン」ではないかと思われる。左下は「栄福之印」で、別当の栄福寺で授与されたものであることがわかる。

御由緒

今治市玉川町(旧越智郡玉川町)に鎮座する石清水八幡神社は、社伝によれば貞観元年(859)河野深躬が勝岡に創建し、勝岡八幡宮と称したという。永承年間(1046~53)伊予守・源頼義は当社が衰微していることを嘆き、河野親経と協力して八幡山の現社地に遷した。

頼義が社殿を造営するに相応しい地を探し、八幡山に登ったところ、山容が山城国の男山に似ており、北を流れる蒼社川が男山に対する淀川のようであることから、これこそ無二の霊地であると石清水八幡宮に倣って社殿を造営した。すると忽然として山内から清水が湧出し、これも男山の石清水のようであるとして、社号を石清水八幡宮と改めたと伝えられる。

因みに、旧別当・栄福寺の縁起では、行教上人が宇佐八幡より八幡大神を奉じて山城国の男山に向かう途中、嵐にあって当地の沖を漂流中、望見した八幡山の山容が男山に似ていることから、八幡宮を勧請したとされる。

東山麓の表参道入口の社号標に「伊豫一社 五十七番 石清水八幡宮」とあるように、伊予国の一国一社八幡宮(国府八幡宮)とされ、河野氏・細川氏・西園寺氏などの崇敬を受けた。また、江戸時代までは当社が四国八十八ヶ所の57番札所であったため、当時の納経帳には当社の名が記されている。

現在は旧八幡村のみの氏神であるが、往古は東の立花郷八ヶ村、西の鴨部郷八ヶ村に神輿が渡御し、それらの村々の氏神として崇敬されたという。

江戸時代以前の別当は浄寂寺と栄福寺。両寺との関係は資料によって違いがあるため、よく分からない点がある。

法華山浄寂寺は、古くは鳩峰山能寂寺と称したが、寛文年間(1661~73)松尾山浄寂寺と改めた。建長7年(1255)の『伊予国神社仏閣等免田注進状案』に八幡宮三昧堂、能寂寺文書に八幡宮法華三昧堂とあるように、古くから当社の別当として法華経会・金剛般若経会などを行っていたようである。当社と同じ山中に鎮座する伊加奈志神社(式内社・伊予国惣社)の別当でもあったようだ。

府頭山栄福寺は、古くは長福寺といったが、その後乗泉寺と称するようになり、さらに寛政4年(1792)栄福寺と改めた。嵯峨天皇の勅願により弘法大師が開創したと伝えられる。江戸時代の納経帳を見ると、もっぱら栄福寺が納経を司っているが、これは浄寂寺が臨済宗、栄福寺が真言宗であることによるのではないかと思われる。明治の神仏分離以降、札所は栄福寺に移されて現在に至っている。

明治初年、村社に列し、明治14年(1881)郷社に昇格。さらに昭和5年(1930)県社に昇格した。

現在の本殿は寛政4年(1792)、拝殿は文化13年(1816)の造営。また、3体の御神像は鎌倉時代の作で、愛媛県の有形文化財に指定されている。

写真帖

  • 東側山麓の参道と鳥居

    東山麓の表参道と鳥居

  • 社号標

    石標(石清水八幡宮表口)

  • 西山麓の参道

    西山麓(栄福寺側)の参道

  • 手水舎

    手水舎

  • 杵築神社

    杵築神社

  • 拝殿

    拝殿

  • 本殿

    本殿

  • しまなみ海道遠景

    境内よりしまなみ海道を望む

メモ

八幡山の山頂に鎮座し、眼下に今治の町から瀬戸内海を望むことができる。東の今治市五十嵐からの表参道と西の57番札所栄福寺からの参道がある。どちらも頂上まで長い石段を登ることになるが、山頂の境内は意外に広々としている。五十嵐側からは車道もあり、山頂の境内まで自動車で登ることも可能である。

現在、四国八十八ヶ所を巡るお遍路さんは56番泰山寺から、直接西山麓の栄福寺に向かうが、かつては東山麓へ出て、表参道から石清水八幡神社を参拝、西山麓に下って栄福寺で納経し、58番仙遊寺に向かったものと思われる。

初めての参拝は平成18年に四国八十八ヶ所を回った際だが、社務所にも人の気配がなかった。しかし姫坂神社の宮司さんに伺うかがうと、本務社で宮司さんがいらっしゃるということだったので、平成20年の正月に帰省した際に参拝し、宮司さんにお会いすることができた。気さくな宮司さんで、いろいろ話をしたのだが、御朱印について伺うと、宮司に就任したときには既に朱印はなかったということであった。ただ、何らかの対応を考えたいということで、また連絡をもらえれば、ということであった。
そこで秋祭りに帰省する際、連絡をしたところ、御朱印を作ることにしたとのこと。私が尋ねた後、今治市内の人からも御朱印についての問い合わせがあり、それならと作ることにしたという。
正月には出来るということだったので、年末に再度連絡を取り、日程を調整して、平成21年の1月5日に拝受した。もう一人の方はまだ来ていないということで、私が記念すべき第一号になった。後で考えれば、せっかくなので日付も入れてもらえばと少しだけ後悔したが。
私一人だけではなかったにせよ、自分がきっかけになって御朱印を作っていただいたという経験は初めてだったので、非常に印象深い。

石清水八幡神社の概要

名称 石清水八幡神社
旧称 石清水八幡宮 勝岡八幡宮
御祭神 品陀和気命〔ほんだわけのみこと〕
足仲彦命〔たらしなかつひこのみこと〕
息長帯比売命〔おきながたらしひめのみこと〕
〈相殿〉
市杵島比売命〔いちきしまひめのみこと〕
多紀理比売命〔たぎりひめのみこと〕
多岐津比売命〔たぎつひめのみこと〕
鎮座地 愛媛県今治市玉川町八幡日坂乙29・30番地
創建年代 貞観元年(859)
社格等 旧県社 一国一社八幡宮
例祭 5月10日
神事・行事 1月1日/歳旦祭
3月21日/祈年祭
9月15日/うら祭り
12月10日近い日曜日/新嘗祭
12月31日/越年祭
※『平成「祭」データ』による
文化財 〈県有形文化財〉木造御神像
巡拝 四国八十八ヶ所旧57番札所

交通アクセス

□JR予讃線「伊予富田駅」より車で約12分、または徒歩約50分
□JR予讃線「今治駅」より車で約16分、またはバス
■せとうちバス浅地口行き「石中寺」下車徒歩約20分
■せとうちバス松山市駅・神子森・葛谷行き「大須木」下車徒歩約20分


※掲載の情報は最新のものとは限りません。ご自身で確認をお願いします。

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コメント

  1. […] 江戸時代までの四国57番札所は石清水八幡宮(現在の石清水八幡神社)で、別当の栄福寺が納経を司っていました。 […]