武田神社

武田神社

武田神社は、戦国時代の名将・武田信玄を祀る。大正4年(1915)大正天皇のご即位に際し、武田信玄に従三位が追贈されたことから神社創建の気運が高まり、大正8年(1919)武田氏の本拠地であった躑躅ヶ崎館跡に鎮祭された。以来、甲斐国総鎮護として崇敬され、勝運の神、産業・経済の神として信仰を集めている。
山梨県の神社

正式名称 武田神社〔たけだじんじゃ〕
御祭神 武田晴信(信玄)公
社格等 旧県社 別表神社
鎮座地 山梨県甲府市古府中町2611 [Mapion|googlemap]
公式サイト http://www.takedajinja.or.jp/
諸国神社御朱印集
全国には約8万の神社があるといわれる。これは宗教法人となっている神社の数で、旧官国幣社や別表神社など多くの参詣者を集める大きな神社から地域の氏子によって守られる村の氏神様までさまざまである。また、宗教法人になっていない小さな祠も多く、それら...

御朱印

  • 武田神社の御朱印

    (1)

(1)平成19年拝受の御朱印。中央の朱印は「武田神社」。右上の印は「風林火山」の軍配、下は龍の印(龍朱印)で、武田信玄が用いた印鑑のようである。

御由緒

御祭神

■武田晴信(信玄)公

武田信玄は戦国時代を代表する武将・軍略家であるとともに、治水や産業開発、民政でも大きな治績を残し、今も甲斐の人々から慕われている。

武田氏は源義光(新羅三郎義光)を祖とする甲斐源氏の宗家で、鎌倉時代初期の信義以来、甲斐国の守護職を受け継いできた名門である。晴信は、大永元年(1521)武田信虎の嫡男として誕生した。甲斐国守護としては17代目となる。

天文10年(1541)父・信虎を縁戚関係にあった今川義元のもとに追放し、当主となった。その直後より信濃に進出、長尾景虎(上杉謙信)との川中島の合戦は名高い。さらに周辺諸国へも兵を進め、甲斐・駿河・信濃と上野・飛騨・美濃・遠江・三河の一部を領する大大名となった。

内政面では、分国法である『甲州法度之次第』を定めたのをはじめ、交通制度の整備や城下町の整備と経済活動の活性化、金山の開発や治水事業、新田開発、度量衡の統一などさまざまな施策を創始している。

天正元年(1573)4月12日、上洛の途上に信濃国伊那郡駒場で病没。その死は3年間秘密とされ、天正4年(1576)葬儀が営まれた。

御由緒

大正12年(1923)に山梨民報社から発行された『武田三代劇』付録の「武田神社奉建会沿革」によれば、武田信玄を祀る神社の淵源は、明治10年(1877)頃、有志の寄附により躑躅ヶ崎館跡に社務所式の建物を造営し、武田神社(無格社)としたことにあるという。明治20年(1887)有栖川熾仁親王が訪れ、御神体として神鏡一体を寄進したという。

日露戦争の後、県知事・武田千代三郎が武田神社への社格奉進を唱えたが実現には至らなかった。明治41年(1908)県知事・熊谷喜一郎が社格奉進の議を再興し、翌明治42年(1909)武田神社社格奉進会を設立、社殿造営費として一般から5万円の寄附を募って活動したが、大正2年(1913)熊谷の転任により中断された。

大正4年(1915)大正天皇のご即位に際し、武田信玄に従三位が追贈された。これを機として県民に武田神社創建の気運が高まり、翌大正5年(1916)7月、官民挙げての「武田神社奉建会」が設立された。

同年12月には、神社建設地を躑躅ヶ崎館跡と決定し、大正6年(1917)4月、地鎮祭を執行。同年7月に内務大臣より武田神社の創立が許可された。

大正8年(1919)本殿が竣工し、4月11日に鎮座祭を斎行。同時に県社に列格した。翌4月12日(信玄の命日)に例祭が行われ、遊亀公園の御旅所まで神輿が渡御した。大正9年(1920)4月11日には拝殿が竣工し、竣工祭が行われた。

以来、甲斐国総鎮護として崇敬され、勝運、産業・経済の御神徳で信仰を集める。昭和47年(1972)には武田家ゆかりの遺宝を展示する宝物館が開館、さらに平成11年(1999)には菱和殿(祈祷殿)、平成18年(2006)には甲陽武能殿(能楽殿)が落成した。

躑躅ヶ崎館跡(武田氏館跡)

武田神社が鎮座する躑躅ヶ崎館跡(武田氏館跡)は、武田信虎・晴信・勝頼の三代にわたって武田氏の本拠地とされた居館跡で、戦国大名の居館としては有数の規模を誇る。

永承16年(1519)武田信虎はそれまでの本拠地であった川田館(甲府市川田町・笛吹市石和町)から相川扇状地の躑躅ヶ崎に館を移した。以来、勝頼が韮崎市の新府城に移るまで60年余りにわたって甲斐国の領国支配の中心となった。

昭和13年(1938)国の史跡に指定。館跡には当時の堀や石垣、井戸などが残る。

太刀「吉岡一文字」

武田神社が所蔵する宝物中の白眉で、国の重要文化財に指定されている。

三條家伝来の名刀で、明治13年(1880)明治天皇の山梨県行幸啓の際、随行した太政大臣・三条実美が、信玄の正室・三條夫人が三條家の出であることに因み、武田神社創建を祈念して寄進したものである。

写真帖

  • 社頭風景

    社頭風景

  • 神橋

    神橋

  • 一の鳥居

    一の鳥居

  • 狛犬

    狛犬

  • 榎天神

    榎天神

  • 甲陽武能殿

    甲陽武能殿

  • 姫の井戸

    名水・姫の井戸

  • 信玄公御使用井戸

    信玄公御使用井戸

  • 二の鳥居

    二の鳥居

  • 拝殿

    拝殿

  • 中門

    中門

  • 本殿

    本殿

メモ

御朱印を拝受したのは平成19年の5月5日、武田神社へは2回目の参拝であった。あまり深くも考えず、ふと一宮浅間神社と武田神社へ行こうと思い立っての参拝であったが、現地に着くと境内は人であふれかえっていた。考えてみれば、この年はNHKの大河ドラマで『風林火山』が放映されており、しかもゴールデンウィークなのだから人が多くて当たり前であった。
写真は3度目の参拝時のもの。夏休み中の土曜日だったが、前回ほどではないものの、かなり多くの人が訪れていた。それだけ武田信玄の人気が高いということであろう。

武田神社の概要

名称 武田神社
御祭神 武田晴信公〔たけだ はるのぶ こう〕(武田信玄)
鎮座地 山梨県甲府市古府中町2611番地
創建年代 大正8年(1919)
社格等 旧県社 別表神社
例祭 4月12日
※4月12日直前の土曜日/信玄公祭り
神事・行事 1月1日/歳旦祭
2月立春の前日/節分祭
3月12日/人形感謝祭
6月30日/水無月大祓式
12月31日/師走大祓式
文化財 〈重文〉太刀(銘:一)〈史跡〉武田氏館跡

交通アクセス

□JR中央本線「甲府駅」より徒歩30分、またはバス
■山梨交通武田神社・積翠寺行き「武田神社」下車、徒歩すぐ。

山梨県の神社
旧官国幣社 浅間神社 通称:甲斐国一宮浅間神社 鎮座地:笛吹市一宮町一ノ宮 甲府市 武田神社 鎮座地:甲府市古府中町 韮崎市 武田八幡宮 鎮座地:韮崎市神山町北宮地 ブログ:武田八幡宮 ■リンク 山梨県神社庁
タイトルとURLをコピーしました