居多神社

居多神社

居多神社は越後国の一宮として尊崇された式内の古社である。国司や守護・上杉氏、守護代・長尾氏の崇敬を受け、江戸幕府からは朱印地100石を寄進された。越後国府に流罪となった親鸞聖人が参拝し、越後七不思議の一つ・片葉の葦の奇瑞が示されたことでも知られる。
新潟県の神社

正式名称 居多神社〔こたじんじゃ〕
御祭神 大己貴命 奴奈川姫命 建御名方命 事代主命
社格等 越後国一宮 式内社 旧県社
鎮座地 新潟県上越市五智6-1-11 [Mapion|googlemap]
諸国神社御朱印集
全国各地の神社を御朱印、由緒、アクセスなどの紹介。伊勢神宮をはじめ旧官国幣社、旧府県社、別表神社、さまざまな由緒を持った神社の由緒と御朱印を都道府県別に紹介する。現代の御朱印の他、江戸時代から明治、大正、昭和戦前の貴重な御朱印、海外廃絶神社の御朱印も掲載。

御朱印

  • 居多神社の御朱印

    (1)

(1)平成21年拝受の御朱印。右上の朱印は「越後一の宮」、下は「居多神社」。

昔の御朱印

昭和戦前の御朱印

  • 居多神社の御朱印

    (1)

(1)昭和8年(1933)の御朱印。中央上の朱印は「神代鎮座式内居多神社御璽」、下は「縣社居多神社社務所」。

江戸時代の御朱印

  • 居多神社の納経

    (1)

  • 居多神社の御朱印

    (2)

(1)嘉永4年(1851)の納経(御朱印)。墨書は「越後五智 奉納經/日丸御名号 宝物所/竹本/社家」。中央の宝印は火炎宝珠。右上の朱印と左下の黒印は判読できない。

(2)万延元年(1860)の御朱印。文字は版木押しで「越後国居多浦/居多神社境内助惣滝/親鸞聖人配所最初旧跡/日丸名号御詠哥〓宝物畧之」。朱印などは押されていない。
※助惣滝は居多神社旧社地の御手洗〔みたらし〕のことという。

※(1)は六十六部の納経帳、(2)は真宗門徒の順拝帳のものだが、どちらも親鸞聖人の御旧跡巡拝に対するものとなっている。

※親鸞聖人の御真筆と伝わる「日の丸の名号」は、現在は居多神社が所蔵しているが、江戸時代以前は居多神社の社家の一つ、明治には北辰庵という俗家に宝物として安置されていたらしい。居多ヶ浜に上陸した親鸞聖人を迎えたという滝の本の助惣の子孫を称する社家が名号を所蔵し、明治になって神社を離れ、北辰庵を称したのであろうか。

※(1)の「日丸御名号 宝物所」「竹本(※滝本のことか)社家」、(2)「助惣滝」は日の丸の名号を所蔵していた社家のことであろう。

御由緒

御祭神

御祭神像

■大己貴命
■奴奈川姫命
■建御名方命(諏訪神)
■事代主命

『平成「祭」データ』に従う。神社でいただいた由緒書は大国主命・奴奈川姫命・建御名方命の三柱、『明治神社誌料』は大己貴命・奴奈川姫命・事代主命の三柱としている。

奴奈川姫命は大己貴命の妻神で、『古事記』には八千矛神(大己貴命)が高志(越)の沼河比売(奴奈川姫命)に求婚した話が記されている。建御名方命は諏訪大社の御祭神で、伝承によれば大己貴命と奴奈川姫命の御子神である。

由緒

社号標

居多神社の社号は「こた」と読むが、能登の気多大社や越中の気多神社などと同じく気多神を祀る神社の一社で、本来は「けた」と読んだと考えられている。気多神は出雲系の人々に信奉された神で(気多大社の御祭神は大己貴命)、気多神社の分布は出雲勢力の進出を反映しているという説もある。

創建年代は不詳。往古は現社地の北西約1km、日本海に面した身輪山(身能輪山)に鎮座していた。しかし、風波や地震のために社地が崩壊・陥没し、数度にわたって南方に移転したと伝えられる。

延喜年間(901~923)のものと伝えられる「居多神社四至図」(実際には中世のものであろうという)には、海岸近くの山腹の社殿や日本海に向かって建つ鳥居が描かれている。

居多神社四至古図

『越後之歴史地理』より居多神社四至古図(国会図書館デジタルコレクション)

弘仁4年(813)従五位下を奉授され、貞観3年(861)彌彦神社などとともに従四位下に昇叙された。延喜の制では小社に列している。国府に近いことから国司の崇敬を受けたという。

貞和3年(1347)室町幕府より社殿の修造費として田井保(上越市板倉区田井)の3分の2を与えられた。

観応2年(1351)には越後守護・上杉憲顕が荒蒔保(上越市清里区荒牧)を寄進、永享11年(1439)にも守護・上杉房朝が社領を寄進するなど歴代上杉氏から厚い保護を受け、越後国一宮として社頭は繁栄した(越後国の一宮については彌彦神社とする説もある。社格の高さから彌彦神社のほうが一宮としてよく知られているが、現存する中世の文献では居多神社を一宮とするもののほうが多いとのこと)。

また守護代・長尾氏も居多神社を尊崇し、天文2年(1533)上条定憲勢によって居多神社の社殿が焼かれたとき、長尾為景(上杉謙信の父)は上条定憲・長尾房長・中条藤資・新発田綱定らを三ヶ月以内に征伐すれば社殿を造営すると内乱鎮定の祈願をした。永禄3年(1560)長尾景虎(上杉謙信)は制札を掲げている。

しかし上杉謙信没後の天正6年(1578)、上杉景勝と上杉景虎との後継争いである御館の乱に際して景虎側に与したため、景勝軍の攻撃を受けることとなった。神主の花ヶ崎氏は能登に逃れ、その後越中に移った。慶長3年(1598)上杉景勝が会津に移ったことにより帰国することができた。

慶長4年(1599)新たに領主となった堀秀治から社領13石を寄進された。さらに慶長16年(1611)には松平忠輝より社領100石を寄進。慶安元年(1648)徳川家光より朱印地100石を賜った。

慶応2年(1866)旧社地が海岸浸蝕のために崩壊。社殿を解体し、御神体を神主宅に遷して奉斎した。

明治5年(1872)郷社に列格、翌明治6年(1873)県社に昇格。同年、府中八幡宮に相殿として合祀されるが、明治12年(1879)松山の現社地に新しい社殿を造営、遷座した。

居多神社古写真

『新潟県発展写真号』(大正4年)より(国会図書館デジタルコレクション)

明治35年(1902)火災で社殿が焼失し、明治40年(1907)仮社殿が再建される。長年そのままであったが、平成20年(2008)大社造りの新しい社殿が造営された。

親鸞聖人と片葉の葦

親鸞聖人像

親鸞聖人像

承元元年(1207)3月、35歳の親鸞聖人は越後国府へ流罪となった。居多ヶ浜に上陸し、助惣という者の家に迎えられた。聖人はその厚意を非常に喜び、終夜懇ろに教えを説いたので、助惣は熱心な信者となった。

親鸞聖人上陸地

ある日、聖人が西を眺めて「あそこにある御社はいかなる神を祀っているのか?」と尋ねた。助惣が「神代より大国主大神が鎮座される霊験あらたかなる居多神社です。ご案内いたしましょう」と答えると、非常に喜んで神社へと上っていった。

折しも夕日が海の上に輝き、不思議にもその中に六字の名号が現れた。上人は直ちに筆を執られ、「我が広むる仏法、末世までこの夕日の輝くごとく広まるように」と日の丸の中に六字の名号を染筆された。

そして「末遠くほうを守らせ居多の神 弥陀と衆生のあらん限りは」という歌を添えて神前に納め、「我が念願を守らせて、その奇瑞を顕したまえ」と祈念したところ、境内の葦が一夜のうちに片葉に変じた。

片葉の葦

片葉の葦

聖人は奇異の念に打たれ、「末代衆生のため、この不思議が末世まで変わらぬように」と法施の念仏を行ったので、現在に至るまで葦は片葉となって生じるという。これが親鸞聖人の越後七不思議の第一「片葉の葦」である。

この後、聖人は建保2年(1214)に常陸国稲田へ向かうまでの7年間を当地で過ごした。

境内社

慶応2年(1866)旧社地が崩壊する以前、居多神社の境内には天神社、八幡社、稲荷社、八坂社、諏訪社、大間神社があった。現在は雁田神社、稲荷社、乳母嶽明神社がある。

雁田神社

雁田神社
御祭神は高皇産霊神と神皇産霊神。懐妊、安産、夜尿症治癒、性病治癒の神という。

稲荷社

稲荷神社
御祭神は倉稲魂命。

乳母嶽明神

乳母嶽明神
御祭神は乳母嶽神・白蛇神。北参道の入口に祀られている。安寿と厨子王丸の説話にゆかりの社である。

奥羽五十六郡の太守・岩城判官正氏は讒言によって筑紫に流された。正氏を尋ねて九州へと向かった妻と愛児の安寿と厨子王丸は、越後の直江津で人買いの山岡太夫に騙され、妻は佐渡へ、二人の子どもは丹後国由良の山椒大夫に売り渡された。これを追いかけてきた乳母の宇和竹は、舟が沖へと離れているのを見て毒蛇となり、海中に飛び入って追いかけた。この乳母の霊を祀ったのが乳母嶽明神で、お乳の出ない人に信仰されているという。

写真帖

  • 社号標

    社号標

  • 一の鳥居

    一の鳥居

  • 境内入口

    境内入口

  • 乳母嶽明神

    乳母嶽明神

  • 手水鉢

    手水鉢

  • 御祭神像

    御祭神像

  • 親鸞聖人像

    親鸞聖人像

  • 片葉の葦

    片葉の葦

  • 雁田神社

    雁田神社

  • 稲荷社

    稲荷神社

  • 社殿

    社殿

  • 拝殿

    拝殿正面

  • 本殿

    本殿

メモ

参拝は新社殿造営から1年余で、広場のような印象の境内に、真新しい大社造りの社殿が建っていた。スッキリとした印象の神社である。

居多神社の概要

名称 居多神社
旧称 居多大明神
御祭神 大己貴命〔おおなむちのみこと〕
奴奈川姫命〔ぬながわひめのみこと〕
建御名方命〔たけみなかたのみこと〕
事代主命〔ことしろぬしのみこと〕
鎮座地 新潟県上越市五智六丁目1番11号
創建年代 不詳
社格等 越後国一宮 式内社 旧県社
延喜式 越後國頸城郡 居多神社
例祭 5月3日
神事・行事 1月1日/歳旦祭
5月3日/稲荷神社祭・雁田神社祭・乳母嶽神社祭
6月30日/夏越の祓
8月19日・20日/講社大祭(夏祭)
11月23日/新嘗祭
12月31日/除夜祭
※『平成「祭」データ』による
巡拝 親鸞聖人越後七不思議

交通アクセス

□トキ鉄妙高はねうまライン「直江津駅」より徒歩約25分、またはバス
■頸城自動車悠久の里前・中央病院・くわどり湯ったり村行き「五智国分寺裏門」下車、徒歩約5分

新潟県の神社
新潟県の神社の御朱印、由緒(歴史)、アクセスなどの紹介。居多神社・日枝神社(上越市)

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