虎狛神社は、延喜式神名帳の多摩郡八座の一・虎柏神社の論社である。旧別当は虎柏山祇園寺。創建年代は不詳だが、社伝では崇峻天皇2年(588)の創建とされる。本殿は天和3年(1683)の再建で、調布市最古の建造物という。
正式名称 | 虎狛神社〔こはくじんじゃ〕 |
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御祭神 | 大歳御祖神 〈合祀〉倉稲魂神 |
社格等 | 式内論社 旧郷社 |
鎮座地 | 東京都調布市佐須町1-14-3 [Mapion|googlemap] |
最寄り駅 | 布田(京王線) バス停:虎狛神社・佐須 |
御由緒
虎狛神社は、多摩郡狛江郷佐須村の鎮守で、延喜式神名帳所載の虎柏神社〔とらかしわじんじゃ〕の論社である。旧別当の祇園寺の山号が虎柏山であるのも、論拠の一つとされている。他の式内社・虎柏神社の論社には、青梅市根ヶ布の虎柏神社がある。
創建年代は不詳だが、社伝では崇峻天皇2年(588)の創祀とされる。
延喜式神名帳には虎柏神社とあり、九条本や吉田家本には「トラカシハ」とフリガナがふられているが、これは「狛」を「柏」と写し間違えたことによるものだという。一説には「虎狛」の二文字で「古万(こま)」と読むともされる。
なお、江戸時代の社号について、当社境内にある文政11年(1828)の『狛江郷佐須邨虎狛神社之碑』には「虎狛神社」とあるが、文政13年(1830)の『新編武蔵風土記稿』、天保5年(1834)の『江戸名所図会』は「虎柏神社」としている。
因みに『深大寺縁起』では、深大寺の開基である満功〔まんくう〕上人が祖父を祀って深大寺の守護神とし、祖母の名の虎と祖父の住まいがあった柏野里から虎柏明神と名付けたとされる。当社の別当であった虎柏山祇園寺は満功上人の生誕地と伝えられる。
明治初年の神仏判然令により祇園寺と分離し、明治6年(1873)郷社に列格した。明治44年(1911)佐須村の名主である温井氏の先祖・温井豊後が建立したとされる稲荷社(里稲荷・下佐須稲荷)を合祀したが、昭和17年(1942)旧地に再び祀られた。
現在の本殿は天和3年(1683)の造営で、調布市内で最古の建造物(調布市指定有形文化財)。
東京都の天然記念物に指定されていた黒松は、高さが約30mもあり、大田区田園調布の秋葉のクロマツ、江戸川区東小岩の善養寺影向のマツとともに都内の三巨松に数えられていた。『江戸名所図会』にも記述があり、当時は社殿西側にも同じような松の巨木があって、残念ながら平成10年(1998)に枯死し、現在は根株だけが残されている。
御朱印
(1)平成19年拝受の御朱印。中央の朱印は十六菊の御紋(伊豆美神社の神紋と思われる)、右上は「神璽」。
(2)平成29年拝受の御朱印。朱印は「虎狛神社之印」。
写真帖
メモ
広い境内ではないが、大きな木が多いために、かえって鬱蒼とした印象を与える。入母屋造の拝殿の後ろに覆殿があり、中に流造の本殿が見える。玉垣は新しいが、境内・社殿ともに寂れた感じで、少々寂しい。
御朱印は本務社である狛江市の伊豆美神社でいただくことができる。初めて参拝した平成19年時点では御朱印がなかったが、記帳のみならということで対応してくださった。
虎狛神社の概要
名称 | 虎狛神社 |
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旧称 | 虎柏神社 |
御祭神 | 大歳御祖神〔おおとしみおやのかみ〕 〈合祀〉 倉稲魂神〔うかのみたまのかみ〕 |
鎮座地 | 東京都調布市佐須町一丁目14番3号 |
創建年代 | 不詳 |
社格等 | 式内社(論社) 旧郷社 |
延喜式 | 武蔵國多磨郡 虎柏神社 |
例祭 | 10月第1日曜日 |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭 2月13日/祈年祭 旧2月上午の日/初午祭 11月13日/新嘗祭 ※『平成「祭」データ』による |
交通アクセス
□京王線「布田駅」より徒歩約20分
□京王線「調布駅」よりバス
■京王バス上ノ原小学校・都営深大寺住宅行き「虎狛神社」下車すぐ
■京王バス・小田急バス吉祥寺駅・三鷹駅南口・杏林大学病院行き「佐須」下車徒歩3分
□JR中央線「吉祥寺駅」「三鷹駅」よりバス
■京王バス・小田急バス調布駅北口行き「佐須」下車徒歩3分