
山縣神社(山県神社)は、江戸時代中期の儒学者、兵学者である山県大弐を祀る。山県大弐はその著『柳子新論』で幕政批判を批判し、尊王論を説いたために幕府から危険視され、明和事件に連座して死刑となった。尊王斥覇思想の先駆者として評価される。大正10年(1921)墓がある金剛寺の隣接地に山縣神社が創建され、県社に列格した。山県大弐は儒・医・漢・天文・兵学など諸学に通じ、多くの著作を残したことから学問の神様としても信仰を集めている。
| 正式名称 | 山縣神社〔やまがたじんじゃ〕 |
|---|---|
| 御祭神 | 山県大弐 |
| 社格等 | 旧県社 |
| 鎮座地 | 山梨県甲斐市篠原190 [Mapion|googlemap] |

御朱印

(1)平成25年拝受の御朱印。中央の朱印は「山縣神社」。右上は神紋の桔梗(山県家の家紋)。
山縣神社について
御祭神

■山県大弐
江戸時代中期の儒学者、兵学者。諱は昌貞、字は公勝、通称は大弐、号は柳荘・洞斎。
享保10年(1725)甲斐国巨摩郡篠原村(山梨県甲斐市篠原)に野沢昌高の次子として生まれた。先祖は武田の名将・山県昌景と伝えられる。父は郷士であったが、後に甲府与力の村瀬家を継ぎ、村瀬為信を名乗った。
山崎闇斎の流れを汲む加賀見桜塢や太宰春台の高弟・五味釜川に学ぶ。延享2年(1745)兄が病により致仕したため、家督を継いで村瀬軍治と名乗り、甲府与力となる。しかし宝暦元年(1751)弟が殺人事件を起こしたため村瀬家は改易となった。大弐は山県に復姓し、江戸に出て医業と寺子屋で生計を立てた。
宝暦4年(1754)若年寄の大岡忠光に仕え、上総国勝浦陣屋の代官となった。宝暦6年(1756)には医官兼儒官として藩邸に出仕する。しかし宝暦10年(1760)大岡忠光の死を機に致仕し、江戸八丁堀長沢町に家塾を開いて儒学・兵学などを講ずるとともに、著述に専念した。その領域は儒学・兵学・医学をはじめ、天文・暦術・有職故実・陰陽道・梵文・音楽など極めて広範囲に及ぶ。
特に代表作の『柳子新論』は朱子学的大義名分論に基づき、尊王斥覇の思想によって幕藩体制下の政治・経済・社会状況を厳しく批判するものであった。
大弐の家塾には多くの諸藩士・浪人が集まり、その数3千人といわれた。特に上野国小幡藩の家老吉田玄蕃や多くの藩士を門弟としていたが、そのために同藩の内紛に巻き込まれることになった。さらに累が及ぶことを恐れた一部の門弟が大弐に謀反の企てがあると訴え出たため、明和4年(1767)同塾に寄宿していた藤井右門とともに捕縛された。
8ヶ月に及ぶ取調べの結果、翌5年(1768)謀反の証拠はないが、幕府をはばかる忌避に触れる議論があったとして、大弐は死罪、右門は獄門に処された(明和事件)。享年43歳。
竹内式部らの宝暦事件とともに尊王斥覇思想の先駆者として評価され、明治維新にも多くの影響を与えた。
山県大弐の墓は茨城県石岡市根古屋の泰寧寺、東京都新宿区舟町の全勝寺、山梨県甲斐市篠原の山縣神社の3ヶ所にある。根古屋の泰寧寺の墓は、根古屋出身の門人・薗部文之進が刑場に晒されていた大弐の首を持ち帰って埋葬したものである。新宿区の全勝寺の墓は、元は遺骸を夫人の実家の菩提寺である全徳寺に葬ったもので、明治8年(1875)全徳寺が隣接する全勝寺に合併されたため、そちらの墓地に移されたものである。
山縣神社の墓所は、大弐の兄の野沢昌樹(山県斎宮)が大弐の遺髪を菩提寺の金剛寺に埋葬したものである。山縣神社創建の後、その境内に移された。
御由緒

明治13年(1880)明治天皇は山梨県御巡幸に際し、勅使を金剛寺の大弐の墓前に遣わされるとともに、祭粢料を下賜され、祭礼が営まれた。さらに明治24年(1891)特旨をもって正四位が追贈された。
大正8年(1919)県民の間で神社創建の声が起こり、官民共同して山縣神社創建会が設立された。総裁には当時の山梨県知事が就任した。
社地に大弐の墓がある中巨摩郡竜王村篠原(現在の甲斐市篠原)の金剛寺の西隣を選定し、大正10年(1921)8月30日、社殿が落成した。同年9月21日県社に列格、翌9月22日鎮座祭が執り行われた。
本殿・拝殿・手水舎などは創建当初のもので、平成28年(2016)国の登録有形文化財となっている。幣殿は第60回式年遷宮の際に伊勢神宮から譲り受けた古材を利用して造営されたものである。
写真帖

一の鳥居と社号標。一の鳥居は大正12年(1923)の建立で、鉄筋コンクリート造、表面モルタル洗出仕上げ。国の登録有形文化財。

境内。

手水舎。大正10年(1921)建造で、こちらも国の登録有形文化財。手水石は自然石を使っている。

手水石。自然石で中央に亀を彫りだしているのが珍しい。

山県大弐の墓。元は隣接する金剛寺にあったが、現在は山縣神社境内に遷されている。甲斐市指定史跡。

神楽殿。

山県大弐の銅像。

二の鳥居。

拝殿。大正10年(1921)建造の木造切妻造、銅板葺。国の登録有形文化財。

拝殿の扁額「山県神社」。

本殿。大正10年(1921)建造で木造の神明造、銅板葺。こちらも国の登録有形文化財である。
メモ
初めて参拝したのは平成13年8月。その時は早朝の参拝だったので、御朱印はいただいてなかった。御朱印拝受は2年後、2度目の参拝時。
JR中央本線の竜王駅から歩いて約20ほどの所。竜王駅の前にも山県大弐の像があり、郷土の偉人として尊敬されていることが伝わってくる。
山縣神社について
| 名称 | 山縣神社 |
|---|---|
| 御祭神 | 山県大弐〔やまがた だいに〕 |
| 鎮座地 | 山梨県甲斐市篠原190番地 |
| 創建年代 | 大正10年(1921) |
| 社格等 | 旧県社 |
| 例祭 | 9月22日・23日(大弐学問祭) |
| 神事・行事 | 1月1日/歳旦祭 4月29日/神徳顕彰祭 12月31日/越年祭 ※『平成「祭」データ』による |
| 文化財 | 〈県指定有形文化財〉山県大弐自筆著書並墨書8点〈国登録有形文化財〉本殿 |
| 巡拝 | 七福神など |
交通アクセス
□JR中央本線「竜王駅」より徒歩約20分
参考文献
・山県神社由緒書・境内掲示
・『山県大弐先生事蹟考』広瀬和育・広瀬広一(昭和6年)
・『山県大弐先生の勤王』村松志孝(昭和9年)
・『甲斐における勤王の士野沢昌樹』秋山茂晃(昭和11年)
・『山梨県の文化財:県指定 第2集 改訂』(昭和61年)
・『日本大百科全書』
・『国史大辞典』
・『平成「祭」データ』
・山形県神社庁公式サイト
・Wikipedia

