名称 | 稲荷山 護国院 龍光寺 |
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御本尊 | 十一面観世音菩薩 |
所在地 | 愛媛県宇和島市三間町戸雁173 [Mapion|googlemap] |
【本尊真言】
おん まか きゃろにきゃ そわか
【御詠歌】
この神は三国流布の密教を 守り給わむ誓いとぞ聞く
【略縁起】
寺伝によれば、大同2年(807)弘法大師が当地を巡錫している時、稲束を背負った白髪の老人から託宣を受けた。この老人が稲荷大明神であることを悟った大師は、その姿を刻んで堂に祀り、稲荷山龍光寺と名付けて四国霊場の総鎮守とした。明治の神仏分離で稲荷神社と龍光寺に分かれ、本地仏の十一面観音などは新たに建立した本堂に移された。
龍光寺の納経(御朱印)
(1)平成元年拝受の納経。揮毫は十一面観音の種字「キャ」に「十一面尊」。中央の宝印は蓮台上の火炎宝珠に梵字「キャ」。右上の印は「四国第四十一番」、左下は「龍光密寺」。
(2)平成19年拝受の納経。揮毫は十一面観音の種字「キャ」に「十一面観音」。朱印は平成元年のものと同じ。
江戸時代の納経
(1)天保11年(1840)の納経。版木押しで「奉納経」「本社稲荷大明神」「別当 龍光寺」。中央の宝印は蓮台上の火炎宝珠に三個の宝珠。右上の印は「四十一番」、左下は九畳篆の書体で判読しづらいが「光」でないかと思われる。
(2)天保12年(1841)の納経。揮毫は「奉納」「本社稲荷大明神」「本地十一面観世音」「別当 龍光寺」。朱印は天保11年のものと同じ。
明治時代の納経
(1)明治38年(1905)の納経。揮毫は「奉納」「本尊十一面観音」「いなり山 龍光寺」。中央の宝印は蓮台上の火炎宝珠に三個の宝珠。右上の印は「四十一番」、左下は九畳篆で判読しづらいが「光」または「龍光」と思われる。
龍光寺について
山号 | 稲荷山(いなりざん) |
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寺号 | 龍光寺(りゅうこうじ) |
院号 | 護国院(ごこくいん) |
旧札所 | 稲荷宮(三間稲荷神社) |
御本尊 | 十一面観世音菩薩 |
所在地 | 愛媛県宇和島市三間町戸雁173番地 |
創建年代 | 大同2年(807) |
開山 | 弘法大師 |
宗派等 | 真言宗御室派 |
文化財 | 〈史跡〉伊予遍路道(仏木寺道) |
備考 | 南予七福神(恵比寿尊) |
覚え書き
緑豊かな三間平野の小高い山に赤い鳥居と稲荷神社の社殿が建つ。参道の石段をはさんで龍光寺の本堂と大師堂が建っており、神仏習合時代の名残を色濃く残している。
本来の札所は現在の稲荷神社(『道指南』では「稲荷宮」、その他の資料では「稲荷」)であり、本尊の稲荷大明神とが祀られていた。江戸時代の納経帳には「本社稲荷大明神」とある。「本社」は「金堂○○(本尊の名)」の「金堂(あるいは本堂)」と同じで、かつての稲荷宮(龍光寺)は稲荷大明神を本尊とし、金堂(本堂)ではなく本社(社殿)を中心とする宮寺(神様を祀る寺)だった。現代の感覚ではわかりにくいが、江戸時代以前は神社とお寺に明確な区別はなかったのである。
寺伝によれば、大同2年(807)2月初午の日、当地を巡錫していた弘法大師に、稲を担いだ白髪の老翁が現れ、「われ、この地に住し、仏法を守護して衆生を利益せん」と告げて姿を消した。大師はこれこそ稲荷大明神であったことを悟り、その尊像を刻んで一宇を建立し、四国霊場の総鎮守とした。この時、本地仏の十一面観音と脇侍の不動明王・毘沙門天も造立、安置されたという。
明治の神仏分離により、稲荷神社(三間稲荷神社)と龍光寺が分離独立した。本地仏の十一面観音は龍光寺の本尊として新しく建立された本堂に移された。同じく弘法大師の作と伝えられる稲荷大明神の神像も龍光寺の本堂に奉安されている。