第47番 熊野山 八坂寺

47番八坂寺

名称 熊野山 妙見院 八坂寺
御本尊 阿弥陀如来
所在地 愛媛県松山市浄瑠璃町773 [Mapion|googlemap]

【本尊真言】
おん あみりた ていせい からうん

【御詠歌】
花を見て歌詠む人は八坂寺 三仏じょうの縁とこそきけ

【略縁起】
役行者小角の開基と伝えられる。大宝元年(701)越智玉興が伽藍を建立し、文武天皇の勅願寺となった。弘仁6年(815)弘法大師が巡錫し、寺を再興した。その後、熊野から十二所権現を勧請し、修験の根本道場として隆盛したが、戦国時代の混乱のために衰退したという。

目次

八坂寺の納経(御朱印)

  • 47番八坂寺の納経

    (1)

  • 47番八坂寺の納経

    (2)

(1)平成元年拝受の納経。揮毫は「無量寿仏」または「無量光仏」(どちらも阿弥陀如来の異名)と思われる。中央の宝印は蓮台上の火炎宝珠に阿弥陀如来の種字「キリーク」、右上の印は「四国四十七番」、左下は「八坂密寺」。

(2)平成18年拝受の納経。揮毫は「無量光仏」と思われる。朱印は平成元年のものと同じ。

江戸時代の納経

  • 天保11年の納経

    (1)

  • 天保12年の納経

    (2)

(1)天保11年(1840)の納経。版木押しで「奉納大乗妙典」「四国霊場四拾七番」「本尊阿弥陀如来」「南海豫州熊野山」「八坂寺」。中央の宝印は勅願所であることを示す五三桐と十六菊の御紋。右上の印は「四国四十七番」、左下は「熊野山妙見院」。

(2)天保12年(1841)の納経。揮毫は「奉納」「本尊無量光仏」「八坂寺」。朱印は天保11年のものと同じ。

明治時代の納経

  • 明治38年の納経

    (1)

(1)明治38年(1905)の納経。版木押しで「奉納経」「本尊無量寿仏」「熊野山」「八坂寺」。中央の宝印は蓮台上の火炎宝珠に阿弥陀如来の種字「キリーク」。右上の印は「四国四十七番」、左下は「熊埜山妙見院」と思われる。

八坂寺について

山号 熊野山(くまのざん)
寺号 八坂寺(やさかじ)
院号 妙見院(みょうけんいん)
御本尊 薬師如来
所在地 愛媛県松山市浄瑠璃町八坂773番地
創建年代 大宝元年(701)
開山 役行者神変大菩薩
宗派等 真言宗醍醐派
文化財 〈県有形文化財〉木造阿弥陀如来坐像

覚え書き

門前の細い道は何となく懐かしいたたずまいである。極楽橋と名付けられた橋と一体になった山門をくぐると、手入れの行き届いた境内、石段を上ると大きな鉄筋コンクリート造りの本堂がある。近くには衛門三郎の屋敷跡とされる文殊院や八人の子どもの墓と伝えられる八塚などがある。
修験道の祖・役行者小角の開基と伝えられる。大宝元年(701)越智玉興が伽藍を建立し、文武天皇の勅願寺となった。寺号は、寺を建立する際に八つの坂道を切り開いたことに因むとされる。弘仁6年(815)弘法大師が巡錫し、寺を再興したという。
その後、熊野から十二所権現を勧請し、修験の根本道場として隆盛した。熊野山八王寺と称し、境内に12坊、末寺は48ヶ寺を数えたという。しかし、戦国時代の混乱により、寺運は衰退した。
本尊の阿弥陀如来は恵心僧都源信の作と伝えられ、県指定文化財。秘仏で、50年に一度、御開帳がある。

写真帖

  • 門前

    門前

  • 大師堂

    大師堂

  • 本堂

    本堂

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