第52番 瀧雲山 太山寺

52番太山寺

名称 瀧雲山 護持院 太山寺
御本尊 十一面観世音菩薩
所在地 愛媛県松山市太山寺町1730 [Mapion|googlemap]

【本尊真言】
おん まきゃ きゃろにきゃ そわか

【御詠歌】
太山へのぼれば汗のいでけれど 後の世思へば何の苦もなし

【略縁起】
用明天皇2年(587)豊後国の真野長者が高浜の沖で嵐に遭い、遭難しそうになったところを観世音菩薩によって救われた。そのお礼として、木組みした木材を豊後より運び、一夜にしてお堂を建てたと伝えられる。天平11年(739)聖武天皇の勅願により行基菩薩が十一面観音の像を造立し、本尊として安置。天平勝宝元年(749)孝謙天皇が勅願所として伽藍を造営した。後冷泉天皇をはじめ後三条・堀河・鳥羽・崇徳・近衛の歴代天皇が十一面観音の像を奉納し、本尊とともに国の重要文化財に指定されている。鎌倉時代造営の本堂は国宝である。

目次

太山寺の納経(御朱印)

  • 太山寺の納経

    (1)

  • 52番太山寺の納経

    (2)

(1)平成元年拝受の納経。揮毫は十一面観音の種字「キャ」に「十一面観音」。中央の宝印は蓮台上の火炎宝珠に梵字「キャ」。右上の印は「四国第五十二番」、左下は「瀧雲山太山寺」。

(2)平成18年拝受の納経。揮毫は「十一面観音」。朱印は平成元年のものと同じ。

江戸時代の納経

  • 天保11年の納経

    (1)

  • 天保12年の納経

    (2)

(1)天保11年(1840)の納経。版木押しで「奉納」「聖武帝」「本尊十一面大士」「勅願所」「瀧雲山」「太山寺」。中央の宝印は勅願所であることを示す十六八重菊の御紋。右上の印は「四国第五十二番」、左下は判読できません。

(2)天保12年(1841)の納経。揮毫は「奉納」「本尊十一面観音」「太山寺」。朱印は天保11年のものと同じ。

明治時代の納経

  • 明治38年の納経

    (1)

(1)明治38年(1905)の納経。揮毫は「奉納」「十一面観音」「太山寺」。中央の宝印は判読しづらいが、火炎宝珠に十一面観音の種字「キャ」か。右上の印は「第五十二番」、左下は「瀧雲山」。

太山寺について

山号 瀧雲山(りゅううんざん)
寺号 太山寺(たいさんじ)
院号 護持院(ごじいん)
御本尊 十一面観世音菩薩
所在地 愛媛県松山市太山寺町1730番地
創建年代 用明天皇2年(587)
開山 真野長者
宗派等 真言宗智山派
文化財 〈国宝〉本堂 〈重文〉二王門 木造十一面観音立像(本堂安置) 木造十一面観音立像(本堂安置) 〈県有形文化財〉絹本著色弘法大師像 梵鐘

覚え書き

寺伝によれば、用明天皇2年(586)豊後の国の真野長者〔まののちょうじゃ〕(真名野長者とも)が船で都に向かう途中、高浜の沖で暴風雨に襲われたが、日頃信仰していた観世音菩薩に記念したところ、瀧雲山(経ヶ森)より光が照らし、難を逃れることができた。その感謝として木組みした材木を運び、一夜で建立したと伝えられる。
天平勝宝元年(749)聖武天皇の勅願により、行基菩薩が十一面漢音像を刻んで安置した。これが現在の本尊という。その後、後三条・堀川・鳥羽・崇徳・近衛・後白河の歴代天皇が同系の観音像を寄進した。これらは皆、国の重要文化財に指定されている。
その他にも文化財が多く、特に本堂は嘉元3年(1305)の再建で国宝である。江戸時代には松山藩主の帰依を受けた。
重要文化財の仁王門をくぐり、長い坂を登っていくと手水舎や大師像、観音像などが並ぶ一角に突き当たり、そこから急な坂を登って三の門をくぐると正面に本堂がある。大師堂へはさらに石段を上がる。大師堂の脇には真野長者を祀る長者堂があり、毎年4月第3日曜日に長者祭が行われる。古刹の名にふさわしい風格のある境内である。
太山寺の奥之院は真野長者が光を見た経ヶ森である。本堂脇から登り道があり、観世音菩薩が祀られている。

写真帖

  • 山門

    山門

  • 長者堂

    長者堂

  • 聖徳太子堂

    聖徳太子堂

  • 大師堂

    大師堂

  • 本堂

    本堂

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