第55番 別宮山 南光坊

55番南光坊

名称 別宮山 光明寺 金剛院 南光坊
御本尊 大通智勝仏
所在地 愛媛県今治市別宮3-1 [Mapion|googlemap]

【本尊真言】
なむ だいつうちしょう ぶつ(南無大通智勝仏)

【御詠歌】
このところ三島の夢のさめぬれば 別宮とても同じ垂迹

【略縁起】
本来の55番札所は大三島に鎮座する大山祇神社であったが、参拝が不便であるため越智郡日吉村の地御前・別宮大山祇神社を前札所として札を納めるのが通例となり、後に事実上の札所となった。南光坊は大宝3年(703)伊予国一宮・大山祇神社の法楽所として建立された24坊の1つである。正治年間(1199~1201)別宮大山祇神社に南光坊を含む8坊が移された。天正年間(1573~92)長宗我部の兵火により8坊とも焼失し、後に南光坊のみが再建された。明治の神仏分離によって別宮大山祇神社から分離独立し、55番札所を引き継いだ。

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南光坊の納経(御朱印)

  • 55番南光坊の納経

    (1)

  • 55番南光坊の納経

    (2)

(1)平成元年拝受の納経。揮毫は「大通智勝仏」。中央の宝印は蓮台上の火炎宝珠に梵字の「バン」。右上の印は「第五十五番」、左下は「別宮山南光坊」。梵字「バン」が大通智勝仏の種字か金剛界大日如来の種字かはわからない。

(2)平成18年拝受の納経。揮毫・朱印ともに平成元年のものと同じ。

江戸時代の納経

  • 天保11年の納経

    (1)

  • 天保12年の納経

    (2)

(1)天保11年(1840)の納経。版木押しで「奉納経」「日本総鎮守」「大山積広前」「別当大積山」「南光坊」。中央の宝印は蓮台上の火炎宝珠に梵字「バン」。右上の印は「五十五番」、右下は「南光之印」。

(2)天保12年(1841)の納経。揮毫は「奉納経」「日本総鎮守」「大山積広前」「別当南光坊」。朱印は天保11年のものと同じ。

明治時代の納経

  • 明治38年の納経

    (1)

(1)明治38年(1905)の納経。揮毫は「奉納」「大通智勝仏」「いよ(伊豫)南光坊」。中央の宝印は蓮台上の火炎宝珠に梵字「バン」。右上の印は「第五十五番」、左下は「別宮山印章」。

南光坊について

山号 別宮山(べっくざん)
寺号 光明寺(こうみょうじ)
院号 金剛院(こんごういん)
坊号 南光坊(なんこうぼう)
旧称 大積山 光明寺 金剛院 南光坊
旧札所 別宮大山祇神社/大山祇神社・神宮寺
御本尊 大通智勝如来
所在地 愛媛県今治市別宮三丁目1番
創建年代 大宝3年(703)
開山 行基菩薩
宗派等 真言宗醍醐派

覚え書き

南光坊は、今治市の沖合にある大三島に鎮座する日本総鎮守・伊予国一宮・大山祇神社の法楽所として建立された24坊の一つである。寺伝によれば大宝3年(703)の創建とされる。
別宮大山祇神社の社伝によれば、和銅5年(712)越智玉澄が、大山祇神社への参拝の不便を解消するため、越智郡日吉村に地御前〔ぢごぜん〕として御分霊を勧請し、別宮大山祇神社を創建したという。正治年間(1199~1201)大山祇神社の法楽所24坊のうち南光坊など8坊を別宮に移し、大積山金剛院光明寺と称した。
天正年間(1573~92)長宗我部の兵火により8坊はことごとく焼失し、後に南光坊だけが再建された。
本来、四国55番札所は大三島の大山祇神社であった。しかし、参拝するのに不便であるため、別宮大山祇神社を前札所となり、後には事実上の札所となった。澄禅の『四国辺路日記』や真念の『四国辺路道指南』にも、別宮は三島宮の前札所だが、三島まで海上七里あるために別宮から遙拝するとある。御詠歌も別宮のものであるため、御詠歌が成立した時代まで遡るのであろう。とはいえ、熱心な遍路は海を渡って大三島の本宮にも参拝していたようである。
南光坊は別宮大山祇神社の別当として納経を司っていた。また、大三島の大山祇神社の別当寺は月光山神宮寺であった。
明治の神仏分離により、本尊の大通智勝如来〔だいつうちしょうにょらい〕や十六大王子が南光坊移され、寺院として独立して55番札所を引き継いだ。因みに大三島の神宮寺は廃寺とされて大山祇神社の祖霊社となり、16坊のうち東円坊のみが現存している。
昭和20年(1945)の空襲により大師堂と金比羅堂を除いて焼失した。現在の本堂は昭和56年(1981)、山門は平成10年(1998)の再建である。山門には別宮大山祇神社の鳥居と同じく「日本総鎮守 三島地御前」の扁額が掲げられており、その由緒を偲ぶことができる。
なお、本尊の大通智勝如来は大山祇大神の本地仏とされる。あまり聞かない名前であるが、『法華経』の化城喩品〔けじょうゆほん〕に登場する仏で、三千塵点劫の昔に出家し、八千劫の間、法華経を説いたとされる。この仏には出家前、十六人の王子がいたが、父の跡を追って出家した。その一人が釈迦如来であったとされる。如来形で理拳印〔りけんいん〕(金剛界大日如来と左右の手が逆の印)を組む。
南光坊に奥之院とされるものはないが、大三島神宮寺の十六坊のうち、唯一残った東円坊が奥之院的な存在といえよう。また、旧札所の別宮大山祇神社は四国曼荼羅霊場の40番札所となっている。

写真帖

  • 山門

    山門

  • 大師堂

    大師堂

  • 本堂

    本堂


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