番外 杖杉庵

杖杉庵

名称 杖杉庵
御本尊 地蔵菩薩
真言 おん かかかび さんまえい そわか
御詠歌 忍辱のしもとの力強くして 夜叉も羅刹もとりひしぐなり
所在地 徳島県名西郡神山町下分字地中 [Mapion|googlemap]

【略縁起】
四国遍路の元祖とされる衛門三郎が大師を尋ねて順逆21回四国を回り、ついにこの地で力尽きた。そこに大師が現れ、三郎の悪業が尽きたことを告げ、来世の望みを言うように言った。三郎は来世は国守に生まれて善政を施したいと言って息を引き取った。大師は衛門三郎の亡骸を埋め、墓標として形見の杉の杖を立てた。すると杖は根付いて大木になったという。これに因んで杖杉庵と呼ぶ。

杖杉庵の納経(御朱印)

  • 杖杉庵の納経

    (1)

  • 杖杉庵の納経

    (2)

(1)平成元年拝受の納経。弘法大師と衛門三郎の出会いを描いた印判を押す。上には「引立大師」、下には「阿州衛門三郎古跡」とある。朱印は中央が宝珠に地蔵菩薩の種字「カ」、右上が「四国霊験場」、左下が「杖杉庵」。

(2)平成18年拝受の納経。黒の印判は「奉納経 弘法大師出現所 右衛門三郎霊跡 杖杉庵」。朱印は中央が宝珠に地蔵菩薩の種字「カ」、右上が「四国霊験場」、左下が「杖杉庵」である。

※杖杉庵の納経は12番焼山寺にて対応していただける(平成18年現在)。

江戸時代の納経

  • 恵信庵の納経

    (1)

(1)文政8年の納経。恵信庵とあるが、杖杉庵の古名と思われる。揮毫は「奉納経」「衛門三郎廟所」「杖杉古跡」「阿州 恵信庵」。朱印は中央上に十六八重菊の御紋、右上に「四国順拝元祖」、左下は「虚空蔵院」。虚空蔵院は12番札所焼山寺のことである。焼山寺が管理していたことによると考えられ、菊の御紋の印も焼山寺のものであろう。

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杖杉庵について

山号
庵号 杖杉庵(じょうしんあん)
院号
旧称 恵信庵
御本尊 地蔵菩薩
所在地 徳島県名西郡神山町下分字地中
創建年代 不詳
開山 弘法大師
宗派等 高野山真言宗

覚え書き

遍路の元祖とされる伊予国浮穴郡荏原の長者・衛門三郎が、弘法大師に会うために順逆二十一回四国を回り、ついにこの地で力尽きた。その時、弘法大師が現れ、衛門三郎の今生における悪業の果報が尽きたので、来世の望みを言うように語りかけた。そこで、衛門三郎は、来世は国守に生まれ、善政を施したいと願った。そこで大師が、小石に「衛門三郎再生」と書いて、左手に握らせると、にっこり笑って亡くなった。天長8年10月20日のことという。

大師は衛門三郎の亡骸を埋め、墓標として形見の杉の杖を建てた。すると、その杖は根付いて杉の大木となった。これに因んで杖杉庵と称する。

貞享4年(1687)の『四国辺路道指南』には「寺より南八丁わきに右衛門三郎の塚、しるしの杉並びに地蔵堂有」とあり、この地蔵堂が後の杖杉庵であろう。また、元禄2年(1689)の『四国徧礼霊場記』には「大門より十八町坂を下りて、右衛門三郎ここにて死し、墓しるしの杉あり、大さ七囲と云」とある。

文政8年(1825)の納経帳には「衛門三郎廟所」「杖杉古跡」として「恵信庵」の名がある。これが杖杉庵の旧名と思われる。

平成元年に参拝した時は杖杉庵で納経したが、現在は無住で、納経は焼山寺で行うことができる。以前の納経印は、弘法大師と衛門三郎の姿が描かれた珍しいものであった。現在は文字だけのものである。番外の吉祥院の御住職によると、杖杉庵の先代住職が亡くなり、お寺の備品等が焼山寺に移されたとき、元の納経印は見当たらなかったとのことである。

平成元年の巡拝で、初めていただいた番外の納経印がこちらであった。それまで番外札所でも納経できるということを知らなかった。当時は現地でいただけた柳水庵などかえすがえすも残念だが、貴重な杖杉庵の御朱印をいただいていたのは幸であった。

写真帖

  • 全景

    全景

  • 本堂

    本堂

  • 弘法大師と衛門三郎

    弘法大師と衛門三郎の像


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