武蔵野牛頭天王と通称される八坂神社は、野口村の鎮守で、江戸時代以前は天王宮・天王社、あるいは野口の牛頭天王と呼ばれた。創建年代は不詳だが、旧別当の正福寺が開創された弘安元年(1272)から間もない頃、あるいは国宝の千体地蔵堂が建立された応永14年(1407)から間もない頃と考えられている。
正式名称 | 八坂神社〔やさかじんじゃ〕 |
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御祭神 | 素盞嗚命 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都東村山市栄町3-35-1 [Mapion|googlemap] |
最寄り駅 | 久米川(西武新宿線) 八坂(西武多摩湖線) バス停:久米川団地入口 |
御由緒
東村山市栄町に鎮座する八坂神社は、江戸時代以前は天王社・天王宮あるいは野口の牛頭天王と呼ばれ、野口村の鎮守であった。旧別当の金剛山正福寺(野口町4)は臨済宗建長寺派で、北条時頼の開基、心月禅師の開山という名刹。千体地蔵堂は国宝に指定されている。
創建年代等は、寛文年間(1661~73)正福寺の火災によって古記類が焼失したため詳らかでない。
もとは正福寺の鎮守として奉斎されたと考えられることから、正福寺が開創された弘安元年(1272)頃、もしくは国宝の千体地蔵堂が建立された応永14年(1407)頃に創建され、後に鎌倉街道(府中街道)沿いの現社地に遷ったのであろうという。
『新編武蔵風土記稿』によれば、御神体は7寸(約21cm)ほどの銅像で、手に斧を持って立つ姿とある。
天保3年(1832)拝殿を改築。
明治2年(1869)八坂神社と改称した。八坂神社の由緒書きには同年村社に列するとあるが、社格制度の布告は明治4年なので、実際の列格はこれ以降のことと思われる。
大正13年(1924)氏子青年の活動として雅楽が導入された。「雅楽・浦安の舞」として市の無形民俗文化財に指定されている。
平成元年(1989)社前を通る府中街道の拡幅工事に伴って社殿を新築。昭和30年(1955)改築の旧社殿は、移築して額殿となった。
御朱印
(1)平成18年拝受の御朱印。朱印は上下とも雲に「天神地祇」。
写真帖
メモ
広くすっきりとした境内。府中街道の拡幅工事によって境内が狭隘になり、祭礼等に支障を来すことになったため、社殿の位置を後方にずらして新築したとのことである。
休日ということもあって、東京近郊の住宅地に鎮座する神社の例に漏れず、初参りや厄除けのご祈祷が次々入っているようだった。御朱印は授与所ではなく、向かいの事務所でいただいた。
八坂神社の概要
名称 | 八坂神社 |
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通称 | 武蔵野牛頭天王 |
旧称 | 天王宮 天王社 野口の牛頭天王 八雲神社 |
御祭神 | 素盞嗚命〔すさのおのみこと〕 |
鎮座地 | 東京都東村山市栄町三丁目35番1号 |
創建年代 | 不詳 |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 7月15日 |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭 3月15日/祈年祭 11月23日/新嘗祭 12月31日/大祓 ※『平成「祭」データ』による |
交通アクセス
□西武新宿線「久米川駅」より徒歩5分
□西武多摩湖線「八坂駅」より徒歩5分