日吉八王子神社は、天慶3年(940)の創建と伝えられる。天正2年(1574)北条氏照が八王子城内に近江の日吉大社から八王子権現を勧請し、祈願所とした。八王子城の落城後の文禄4年(1595)島之坊俊盛が島之坊宿(現・日吉町)に社殿を設けて八王子明神を勧請。由井領の総鎮守・八王子十五組宿の祈願所となった。
正式名称 | 日吉八王子神社〔ひよしはちおうじじんじゃ〕 |
---|---|
御祭神 | 国狭槌尊 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都八王子市日吉町8-20 [Mapion|googlemap] |
最寄り駅 | 西八王子(JR中央線) バス停:水無瀬橋 |
御朱印
(1)平成22年拝受の御朱印。中央の朱印は「日吉八王子神社」、その上に三つ鱗の神紋。
御由緒
日吉八王子神社は、天慶3年(940)に創建されたと伝えられる。
天正2年(1574)滝山蔵王宮の別当であった大阿闍梨法印・天神坊高盛は、北条氏照の命を受け、近江国の日吉山王七社の八王子権現(日吉大社の摂社・牛尾宮)を八王子城に奉斎した。氏照はこれを八王子城の祈願所、山の根九万石(八王子周辺から多摩川上流域)の総鎮守としたという。
八王子城の落城後、祭祀は一時中絶したが、文禄4年(1595)法印島之坊俊盛が島之坊宿(現・日吉町)に社殿を造営し、八王子城から八王子権現を勧請した。日吉山王八王子明神社と称し、由井領の総鎮守・八王子横山十五宿の祈願所とした。
俊盛は小田原攻めで陣貝役(陣中で軍の進退などの合図に法螺貝を吹く役)を務め、当社の別当である由井山島之坊(本山派修験、廃寺)を創建した修験者である。八王子横山十五宿の一・島之坊宿を開き、関ヶ原の合戦にも従軍した。
寛文7年(1667)代官の高室四郎左衛門、手代の小山次郎兵衛らにより社殿が再建された。その後、明治2年(1869)、明治35年(1902)、昭和16年(1941)にも社殿の再建・改築が行われ、八王子空襲の被害を免れて現在に至る。
写真帖
メモ
参拝は例祭の午後に参拝したが、すでに境内は片付けも終わり、人の気配はなかった。少々残念に思いながらもお参りを済ませ、写真を撮っていると、一人の女性がやってきた。もしやと思って声をかけると神社の方で、御朱印をお願いすることができた。
拝受は社務所を兼ねた宮司さんのお宅だったが、神社から少し歩いたところで、案内がなければ見つけるのは難しいと思われる。私の場合は幸運であったが、御朱印をいただきたい場合は事前連絡が無難だと思われる。
日吉八王子神社の概要
名称 | 日吉八王子神社 |
---|---|
通称 | 山王様 |
旧称 | 日吉山王八王子明神社 |
御祭神 | 国狭槌尊〔くにさづちのみこと〕 |
鎮座地 | 東京都八王子市日吉町8番20号 |
創建年代 | 天慶3年(940) |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 5月2日 |
神事・行事 | 1月1日/元旦祭 旧2月上午の日/初午祭 8月第1土曜日/山車進発安全祈願祭(八王子まつり) ※『平成「祭」データ』による |
交通アクセス
□JR中央線「西八王子駅」より徒歩約10分
□JR中央線「八王子駅」・京王線「京王八王子駅」よりバス
■西東京バス恩方ターミナル・大久保・宝生寺団地行き「水無瀬橋」下車徒歩2分