勝沼神社は、正安3年(1301)三田長綱が時宗二祖・真教上人を迎えて乗願寺を開創した際、寺と当地の鎮守として創建したと伝えられる。当時は乗願寺の前方1丁のところに鎮座していたが、安永3年(1774)現社地に遷座した。江戸時代以前は神明社と称したが、明治3年(1870)現社号に改めた。
正式名称 | 勝沼神社〔かつぬまじんじゃ〕 |
---|---|
御祭神 | 天照大神 豊受大神 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都青梅市勝沼3-140 [Mapion|googlemap] |
御朱印
(1)平成17年に拝受した御朱印。2頭の獅子と社紋、社号の入った印のみで、揮毫・日付はない。獅子の中に「カツヌマ」の文字が隠れている。
御由緒
御祭神
■天照大神
■豊受大神
伊勢の皇大神宮と豊受大神宮の御分霊を祀る。御祭神に因み、本殿は神明造で、千木が内削ぎと外削ぎの組合せになっている。
御由緒
勝沼神社は、旧乗願寺村のほぼ中央に鎮座し、古くは神明社あるいは神明皇大神宮と称していた。
勝沼とは中世、三田氏の城館(勝沼城)を中心とする地域を指す地名で、乗願寺村の乗願寺(時宗)や師岡村の龍寿寺(曹洞宗/廃寺)は勝沼山と号する。江戸時代には西分・乗願寺・師岡・根ヶ布・吹上・塩船などの諸村に分かれたが、地域の通称としては使われ続けたという。明治5年(1872)乗願寺村が勝沼村と改称した。
正安3年(1301)勝沼城主・三田下総守長綱が時宗二祖・真教上人を開山に迎えて乗願寺を開いた際、寺と地域の鎮守として創建したと伝えられる。当時の鎮座地は乗願寺の前方1丁の字神明前(現社地の南東約500m)であった。
神社明細帳によれば、天文年間(1532~55)北条氏康が参詣し、社殿を再建したという古老の伝承があるという。
安永3年(1774)9月18日、現社地に遷座。『新編武蔵風土記稿』は「村民ノ持」とするが、神社明細帳には「修験大福院之ニ奉仕ス」とある。いずれにせよ、この頃には乗願寺との直接の関係はなくなっていたようだ。文政2年(1819)9月と嘉永5年(1852)9月に社殿の再建が行われた。
明治3年(1870)社号を勝沼神社と改める(※東京都神社庁の公式サイトや『青梅市史』は明治元年改称とするが、神社明細帳に「明治三庚午年官ノ令ヲ奉戴シ社号ヲ改替ス。当時旧前橋藩管轄タリ」とあるので、これに従う)。明治6年(1873)村社に列格した。
境内社
本殿西側に正一位大田稲荷社、勝沼天満宮、山祇神社、熊野御嶽神社(合殿)、琴平神社、靖国社の祠が並んでいる。
■山祇神社
御祭神は大山祇神で、古くは山神社と称していた。神明社(勝沼神社)が遷座してくる以前より鎮座していた地主神で、もともと当地は山神戸と称していたという。明治維新後、本社と同時に改称した。
■熊野御嶽神社
熊野神社と御嶽神社を合殿に祀る。ともに明治2年(1869)乗願寺境内より遷座した。熊野神社は、時宗の開祖・一遍上人が熊野権現を深く尊崇していたことから、乗願寺の開山・真教上人が勧請したものである。御嶽神社は『新編武蔵風土記稿』の乗願寺の項に「小社。神体唐銅長三寸五分。境内ノ鎮守」とある。それぞれ古くは熊野大権現・御嶽山蔵王大権現と称したが、当社境内へ遷座した際に改称した。
写真帖
メモ
青梅鉄道公園にほど近い丘の上に鎮座する。旧青梅街道沿いに「勝沼神社参道」という大きな標石があり、北に向かって坂道を登っていくと境内に続く石段と鳥居が見えてくる。社殿の西側は広場のようになっており、すっきりとした印象の境内である。
初めての参拝は平成17年の9月。例大祭の直前で、氏子の人たちが準備をする中での参拝。御朱印をお願いすると、忙しい中を快く対応してくださった。
平成30年に参拝した際、御朱印をいただく予定はなかったのだが、たまたま宮司さんがいらっしゃったので、御縁と思って再度拝受した。普段、宮司さんは丘の麓の仮社務所にいらっしゃるそうだが、そちらでの御朱印拝受はできないとのこと。確実にいただきたい場合は、事前連絡しておくほうが無難かも知れない。
勝沼神社の概要
名称 | 勝沼神社 |
---|---|
通称 | 神明様 |
旧称 | 神明社 神明皇大神宮 |
御祭神 | 天照大神〔あまてらすおおみかみ〕 豊受大神〔とようけのおおかみ〕 |
鎮座地 | 東京都青梅市勝沼三丁目140番地 |
創建年代 | 正安3年(1301) |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 9日19月 |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭 2月11日/春季例祭 11月中旬日曜日/秋季例祭 ※『平成「祭」データ』による |
交通アクセス
□JR青梅線「東青梅駅」より徒歩12分
□JR青梅線「青梅駅」より徒歩15分
更新情報
2006.01.29.公開
2018.05.07.改訂、WPへ移行、画像を追加。