玉川神社(羽村)

玉川神社

玉川神社は、寿永年間(1182~85)畠山重忠の一族が信濃国一宮・諏訪神社から御分霊を勧請したことに始まると伝えられる。江戸時代以前は諏訪宮、諏訪大明神あるいは多摩大明神と称していた。明治2年(1869)諏訪神社と改称し、さらに明治15年(1882)日枝神社を合祀して玉川神社と改めた。

正式名称 玉川神社〔たまがわじんじゃ〕
御祭神 建御名方命 大山祇命 〈相殿〉素盞嗚命 玉祖命
社格等 旧無格社
鎮座地 御東京都羽村市羽中4-1-16 [Mapion|googlemap]
最寄り駅 羽村(JR青梅線)
バス停:玉川神社
公式サイト http://tamagawajinja-hamura.la.coocan.jp/
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御朱印

  • 玉川神社(羽村)の御朱印

    (1)

  • 玉川神社の御朱印

    (2)

(1)平成18年拝受の御朱印。中央と左下の朱印はともに「玉川神社」。

(2)平成29年拝受の御朱印。中央の朱印は火焔宝珠もしくは火焔太鼓をデザインしたもののようである。

御由緒

御祭神

主祭神
■建御名方命
■大山祇命
配祀
■素盞嗚命
■玉祖命

建御名方命は諏訪神社の御祭神で、信濃国一宮・諏訪大社からの勧請。大山祇命は合祀された日枝神社の御祭神。

配祀の素盞嗚尊は元境内社の八雲神社の御祭神。羽村市の各神社にはいずれも八雲神社が祀られており、4月には八雲祭が行われて神輿や山車の渡御がある。

玉祖命は同じく元境内社・玉神社の御祭神である。

御由緒

玉川神社は多摩郡羽村のうち小名・奈賀(現在の羽中3・4の一部)の鎮守で、江戸時代以前には諏訪宮、諏訪大明神あるいは多摩大明神と称された。

天保年間(1830~44)の社家の火災で旧記等が焼失したため創建以来の歴史については詳らかではないが、寿永年間(1182~85)畠山重忠の一族が東関第一の軍神として尊崇された諏訪大社の御分霊を勧請したことに始まると伝えられる。

『新編武蔵風土記稿』には「諏訪社」とあり、「除地一反二畝三歩、社地十五坪。村の東にあり。本社二間四方の覆屋あり。例祭七月廿八日。吉田派の神職宮沢越後持」と記されている。

明治2年(1869)諏訪神社と改称。明治10年(1877)春、境内に羽村学舎(現在の羽村西小学校)の校舎が設けられた。明治15年(1882)3月、小名・根岸の日枝神社を合祀し、玉川神社と改めた。

昭和61年(1986)諏訪大社の式年造営・御柱大祭に当たり、諏訪大社下社秋宮の東御宝殿を拝戴して本殿とした。また下社春宮の第三之御柱を移設、御本社の御柱が県外に移されたのは有史以来初めてのことであった。

写真帖

  • 玉川神社鳥居

    鳥居

  • 玉川神社手水舎

    手水舎

  • 玉川神社御柱

    諏訪大社秋宮二之御柱

  • 玉川神社拝殿

    拝殿

  • 玉川神社社号額

    社号額

  • 玉川神社本殿

    本殿(覆殿)

メモ

羽村駅(五ノ神社)から武蔵阿蘇神社に向かう道と奥多摩街道が交わるところに鎮座する。諏訪大社との交流が深いようで、拝殿脇には平成28年(2016)新たに下賜された諏訪大社下社秋宮の第二之御柱を安置している。

初めての参拝は平成17年の9月。境内に社務所はなく、宮司さんが常駐しているようではなかったため、翌18年の正月に参拝して御朱印をいただいた。2度目の御朱印拝受は平成29年の2月。武蔵阿蘇神社への参拝の途中で立ち寄ったのだが、たまたま宮司さんがいらっしゃったので御朱印をお願いした。御朱印を拝受する場合は事前に連絡しておいたほうがよいのではないかと思われる。

玉川神社の概要

名称 玉川神社
旧称 諏訪大明神 多摩大明神 諏訪神社
御祭神 建御名方命〔たけみなかたのみこと〕
大山祇命〔おおやまづみのみこと〕
〈配祀〉
素盞嗚命〔すさのおのみこと〕
玉祖命〔たまのやのみこと〕
鎮座地 東京都羽村市羽中四丁目1番16号
創建年代 伝・寿永年間(1182~85)
社格等 旧村社
例祭 8日28月
神事・行事 1月元旦/歳旦祭
2月11日/建国祭
2月17日/祈年祭
4月第2日曜日/八雲祭(神輿・山車の渡御)
6月30日/大祓
11月15日/七五三祝い
11月23日/新穀感謝祭
12月31日/大祓

交通アクセス

□JR青梅線「羽村駅」より徒歩10分


※掲載の情報は最新のものとは限りません。ご自身で確認をお願いします。

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