浅草神社末社 被官稲荷神社 | 東京都台東区

被官稲荷神社

被官稲荷神社は浅草神社の末社で、「官を被る」すなわち官位を授かるという意味から、就職・出世などの祈願する人が多い。安政元年(1854)新門辰五郎の妻が重病になり、伏見稲荷に祈願して平癒した。そこで町の人々が感謝の意も含めて伏見稲荷から御分霊を勧請したことに始まるという。

正式名称 浅草神社末社 被官稲荷神社〔ひかんいなりじんじゃ〕
御祭神 倉稲魂神
社格等 旧郷社浅草神社末社
鎮座地 東京都台東区浅草2-3-1 [Mapion|googlemap]
公式サイト http://www.asakusajinja.jp/asakusajinja/hikanjinja.html
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目次

御朱印

  • 被官稲荷神社の御朱印

    (1)

  • 被官稲荷神社の御朱印

    (2)

(1)平成21年拝受の御朱印。中央の朱印は抱き稲の神紋。右上に「東京浅草」、左下に「浅草神社」。

(2)平成28年拝受の御朱印。中央の朱印は抱き稲の神紋。右上に「東京浅草」、左下は「被官稲荷神社」、右下に神前に奉納する神狐のお姿。

御由緒

被官稲荷神社は、幕末の町火消し・侠客として有名な新門辰五郎ゆかりの稲荷社である。

安政元年(1854)辰五郎の妻が重病になった。伏見稲荷に病気平癒の祈願をしたところ、その甲斐あって全快した。そこで翌2年(1855)、町の人々が感謝の意も含めて伏見稲荷から御分霊を勧請したことを創祀とし、現在は浅草神社の末社となっている。

被官とは本来、律令制度において上級官庁に従属する下級官庁もしくはその官吏、後には守護などに仕える国人領主などを指す。なぜそのような名で呼ばれるかという由緒は不明というが、「官を被る」すなわち官位を授かるという意味から出世の意であろうという。そのため、就職・出世を祈願する人も多いという。

社殿は小振りだが、関東大震災・東京大空襲の被害を奇跡的に免れた安政2年(1855)の創建当時のもの。また正面鳥居は新門辰五郎が奉納したものである。

写真帖

  • 鳥居

    鳥居

  • 覆屋

    覆屋

  • お姿

    お姿

  • 奉納鳥居

    奉納鳥居

  • 社殿

    社殿

メモ

浅草神社本殿の東側斜め後ろに鎮座する小祠である。ネット上で御朱印があることを知り、いずれ拝受しようと思っていたのだが、所用で近くへ行く機会が多いところだけに、却って余分の時間がとれず、延び延びになってしまった。御朱印は浅草神社の社務所でいただける。

被官稲荷神社の概要

名称 被官稲荷神社
御祭神 倉稲魂神〔うかのみたまのかみ〕
鎮座地 東京都台東区浅草二丁目3番1号
創建年代 安政2年(1855)
社格等 旧郷社浅草神社末社
例祭 3月18日
神事・行事 2月上午の日/初午祭

交通アクセス

□東京メトロ銀座線・都営浅草線「浅草駅」より徒歩約7分
□東部スカイツリーライン「浅草駅」より徒歩約7分
□つくばエクスプレス「浅草駅」より徒歩約10分

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