馬場都都古和氣神社は日本武尊が東征の際、建鉾山に鉾を建て、味耜高彦根命を祀ったことに始まると伝えられる。陸奥国一宮・式内名神大社の都都古別神社(都々古別神社)の論社。同じく論社に八槻都々古別神社がある。由緒もほぼ共通で、元々一体であったのか、どちらかが分祀したのか等、その関係は不明である。明治に激しい論争があったものの決着がつかず、両社ともに国幣中社とされた。
正式名称 | 都々古別神社〔つつこわけじんじゃ〕 |
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御祭神 | 味耜高彦根命 〈相殿〉日本武尊 |
社格等 | 式内論社(名神大) 陸奥国一宮 旧国幣中社 別表神社 |
鎮座地 | 福島県東白川郡棚倉町大字棚倉字馬場39 [Mapion|googlemap] |
御朱印
(1)
(1)平成19年拝受の御朱印。揮毫は「都都古和氣神社」。中央の朱印は「棚倉坐都都古和氣神社」。右の印は「陸奥一宮」、左は「都々古別神社」。
昔の御朱印
(2)
(3)
(4)
(2)年代不詳、大正末から昭和初期のものと思われる御朱印。中央の朱印は「棚倉町鎮座/都々古別神社」、右上の印は「奥州一宮」。
(3)昭和10年(1935)頃の御朱印。中央上の朱印は雲に「國幣中社/都々古和氣神社」、下は「棚倉國幣中社都々古別神社社務所之印」。
(4)昭和18年(1943)の御朱印。朱印は「棚倉坐都都古別神社」。
御由緒
社伝によれば、この地方の東夷を平定した日本武尊が、都々古山〔つつこやま〕(白河市表郷三森、建鉾山〔たてほこやま〕とも)に鉾を建て、味耜高彦根命を祀ったことに始まるとされる(建鉾山には古代の祭祀場の跡がある)。
大同2年(807)坂上田村麻呂が伊野荘(現・棚倉城趾)に奉遷し、日本武尊を相殿に祀ったという。
延喜式所載の名神大社で陸奥国一宮の都都古和気神社とするが、同じ棚倉町内の八槻地区にも都都古別神社があり、同じく式内名神大社・陸奥国一宮を称する。両者を区別するためにそれぞれの鎮座地の名を冠し、馬場都々古別神社・八槻都々古別神社と呼ぶ。
祭神も同じで、都々古山(建鉾山)を起源とする由緒にも共通点が多いものの、元々一体のものであったのか、どちらか一方から分祀したのか、それとも別の神社が同じ名を称しているのか、いずれともわからない。
江戸時代まではどちらも近津大明神と称していた。久慈川沿いに鎮座する馬場・八槻の都々古別神社と下野宮の近津神社(茨城県久慈郡大子町)を総称して近津三社ともいい、八溝山と深く関わっていた。馬場の都々別神社は位置的関係から上之宮とも称した。馬場は高野郡(現・東白川郡)北郷の、八槻は南郷の、下野宮は依上保〔よりがみほ〕(茨城県大子町の辺り)の総鎮守として崇敬を集めていた。
明治に馬場社・八槻社のいずれを式内社とするかで大論争があったが決着がつかず、両社並立とされた。いずれにせよ、どちらも多くの文化財を蔵し、古い歴史を誇る古社である。
なお、近津三社がいずれも弘仁3年(811)に開かれた官道沿いに鎮座することから、遷座(もしくは鎮座)はこれ以降のこととする説もある。
中世以降は神仏習合の修験道場として発展した。別当・不動院の高松氏(馬場別当と称した)は高野郡北郷一円の熊野修験を統括し、さらに政治・軍事も司った。
白河の結城氏、後にこの地を支配した佐竹氏をはじめ、武家・将軍から篤い崇敬を受けた。現在の本殿は文禄年間(1592~96)豊臣秀吉の命によって佐竹義宣が造営したものである。
寛永元年(1624)丹羽長重が棚倉城を築くに当たって社地を譲った。現社地を替え地として与えられ、社殿を解体移築して同2年(1625)に遷座する。江戸時代は幕府より朱印領を寄進されていた。
明治6年(1873)国幣中社に列格。この時、太政官符に「別」の字が用いられていたことから「都々古別神社」と称するようになった。現在も正式名称は「都々古別神社」だが、表向きの正式名称は「都都古和氣」の字に復している。
写真帖
メモ
棚倉城趾から500mほどのところに参道がある。石段を登ると神門があり、緑に包まれた境内が広がる。桜が咲き始めており、すがすがしい印象。かつての経済基盤が失われた過疎地の古社というのは、どうしても寂れた雰囲気になるもので、当社も例外ではないのだが、境内を包む社叢、手入れされた庭木と相まって(季節もあるのだろうが)味わい深い雰囲気を作り出していた。
この辺りは公共交通機関がきわめて不便なので、自家用車などを使うのが無難だが、棚倉城趾や蓮生寺(親鸞聖人二十四輩の一)など見所もあるので、列車の時間までゆっくり過ごすのもよい。
馬場都都古和氣神社の概要
名称 | 都々古別神社 |
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通称 | 馬場都都古和氣神社 馬場都々古別神社 |
旧称 | 都都古和氣神社 都都古別神社 近津大明神 |
御祭神 | 味耜高彦根命〔あぢすきたかひこねのみこと〕 〈相殿〉 日本武尊〔やまとたけるのみこと〕 |
鎮座地 | 福島県東白川郡棚倉町大字棚倉字馬場39 |
創建年代 | 伝・景行天皇の御代(71~130) |
社格等 | 式内社(論) 陸奥国一宮 旧国幣中社 別表神社 |
延喜式 | 白河郡 都都古和氣神社 名神大 |
例祭 | 9月上旬 |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭 2月3日/節分祭 2月17日/祈年祭 5月3日/神楽講祭 11月23日/新嘗祭 12月31日/大祓祭 ※境内掲示による |
文化財 | 〈重文〉長覆輪太刀 長覆輪太刀 赤絲威鎧残闕付二十五間四方白星兜鉢 扇面懸仏〈県有形文化財〉銅造線刻薬師如来懸仏 銅造線刻十一面観音懸仏 銅造阿弥陀如来懸仏 銅造薬師如来懸仏 鉾形祭具 |
交通アクセス
□JR水郡線「磐城棚倉駅」より徒歩約17分
更新履歴
2008.01.20.公開
2024.11.23.改訂、Wordpressに移行、御朱印を追加。