砂村新田の鎮守。砂村新田は万治2年(1659)砂村新左衛門によって開発されたが、それ以前から鎮座していたと伝えられる。一説には長盛法印が夢告によって当地に祀られていた八幡神像を感得し、深川に勧請したのが富岡八幡宮であるとされる。寛文5年(1665)社殿を造営、富岡八幡の旧地であることから元八幡と称された。
正式名称 | 富賀岡八幡宮〔とみがおかはちまんぐう〕 |
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御祭神 | 応神天皇 〈合祀〉倉稲之魂命 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都江東区南砂7-14-18 [Mapion|googlemap] |
御朱印
平成18年拝受の御朱印。中央の朱印は社殿に「東都砂村」「富賀岡八幡宮」、左下は「八幡宮宮司之印」、その上に「開運招福」の黒印。
御由緒
砂村新田の鎮守で、旧別当は深川の永代寺(富岡八幡宮の別当寺)であった。
万治2年(1659)相模国三浦郡よりきた砂村新左衛門が宝六島と呼ばれていた当地を開拓し、その姓に因んで砂村新田と名付けたが、当社はそれ以前より鎮座していたという。
一説には、源三位頼政から千葉氏、足利尊氏、鎌倉公方基氏、管領上杉氏を経て太田道潅へと伝わり、深く崇敬を受けていた八幡像が、道潅没後、当社に伝わっていた。寛永年間(1624~44)のはじめ、長盛法印が夢告によってこの像を感得し、永代島に勧請して富岡八幡宮を開創したとされる(異説もあり)。
寛文5年(1665)当地を開発した際、古跡除地として永代寺が拝領し、社殿を造営して八幡宮を勧請した。富岡八幡宮の旧地とされることから元八幡と称されたという。江戸時代、当地は緩やかな岡となっており、周辺の秋の稔りを一望できたことから「富を賀するの岡=富賀岡」と称されたともいう。
明治の終わり頃まで社地は海岸に面し、元八幡桜道と呼ばれる桜並木があった。その様子は歌川広重の『名所江戸百景』や『江戸名所図会』にも描かれているが、明治43年・大正6年の水害や昭和の戦災により変貌した。
現在の社殿は昭和36年(1961)の再建である。
写真帖
メモ
付近は公団住宅や企業関係の建物が多く、殺風景な印象を受ける。かつての景勝地の名残はあまり感じられないが、境内前の通りは名所江戸百景や江戸名所図会に描かれている道がそのまま残ったもののようである。また、境内には天保4年(1833)以前の築造とされる富士塚などが残り、古い時代を偲ばせる。
なお、近年御朱印の授与を取りやめているようである。
富賀岡八幡宮の概要
名称 | 富賀岡八幡宮 |
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旧称 | 八幡神社 元八幡 |
御祭神 | 応神天皇〔おうじんてんのう〕 〈相殿〉 倉稲之魂命〔うかのみたまのみこと〕 |
鎮座地 | 東京都江東区南砂七丁目14番18号 |
創建年代 | 寛文5年(1665) |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 8月20日 |
神事・行事 | 1月1日/元旦祭 2月節分/節分祭 4月20日/祈年祭 6月30日/大祓祭 7月1日/浅間神社例祭(山開き) 11月23日/新嘗祭 12月31日/大祓祭 |
交通アクセス
□東京メトロ東西線「南砂駅」より徒歩約10分