北宮諏方神社 | 福島県喜多方市

北宮諏方神社

北宮諏方神社は会津北部の総鎮守として崇敬される。社伝によれば、天授元年(1375)会津領主・蘆名直盛が信濃国諏訪郡より諏訪大社の御分霊を勧請したという。黒川城(後の会津若松城)内の諏方神社を南宮とし、当社を北宮とした。江戸時代には会津藩松平家の祈願所とされた。

正式名称 北宮諏方神社〔きたみやすわじんじゃ〕
御祭神 建御名方命 八坂刀売命 〈相殿〉春日大神 住吉大神 大市比売命
社格等 旧県社
鎮座地 御鎮座地の住所 [Mapion|googlemap]
公式サイト https://www.instagram.com/kitamiyasuwajinjya/
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目次

御朱印

北宮諏方神社の御朱印
(1)

(1)平成24年拝受の御朱印、書き置き。朱印は「北宮諏方神社」。

昔の御朱印

北宮諏方神社の御朱印
(2)

(2)昭和10年(1935)の御朱印。上の朱印は「神璽」、下は「縣社北宮諏方神社社務所印」。

北宮諏方神社について

拝殿

御祭神

建御名方命
八坂刀売命
諏訪大社より勧請した。古くは農耕上の水・風の守護神、ひいては生活の根源神として信仰され、中世になると武家の守護神として崇敬された。殊に形だけ精進潔斎する者より肉を食べても真心から祈る者を救うという「諏訪大明神御神託」により広く信仰を集めるようになったという。

相殿 市神社
春日大神
住吉大神
大市比売命
市場の神、商売繁盛の守護神。永禄元年(1558)に祀られた。

御由緒

拝殿の扁額

北宮諏方神社は、現在の喜多方市の中心部をなしている旧小荒井村に鎮座する。小荒井村は蘆名盛氏によって熱塩街道沿いに町割りが行われて六斎市が行われるようになり、近世には市場町・在郷町として繁栄した。

社伝によれば天授元年(1375)会津領主・蘆名直盛が信濃の諏訪大社より御分霊を勧請したことに始まるという。黒川城(後の会津若松城)内の諏方神社を南宮とし、当社を北宮としたことにより北宮諏方神社と称する。

天文7年(1538)蘆名盛氏が社殿を再興し、修験大蔵院順慶を別当に充てた。永禄2年(1559)には田一町歩を寄進し、祈願所とした。

しかし天正17年(1589)伊達政宗が会津に攻め込んで蘆名義広を破った際、当社も伊達勢の兵火にかかって社殿が炎上、宝物や古文書も焼失した。さらに会津を領有した伊達政宗により社領は没収された。

天正18年(1590)蒲生氏郷が会津の領主となると、文禄元年(1592)当社を参拝し、先例通り諸役免除を認めた。さらに翌文禄2年(1593)田一町を寄進、祭祀の度に幣帛を奉った。

その後、会津の領主となった上杉氏・加藤氏も先例に倣った。寛永18年(1641)には加藤明成が社殿を旧地から60mほど南の現社地へ遷した。

寛永20年(1643)保科正之が会津藩主となると当社を崇敬し、毎年春秋二回祈願使を遣わして奉幣するのを例とするとともに干魃の請雨などの祈願もたびたびであったという。

文化7年(1810)正一位を奉られた。

嘉永元年(1848)松平容敬は社領50石を寄進した。

歴代会津藩主・松平氏の崇敬篤く、藩主は毎年清明の日(春分の日の15日後)に当社へ参向し、会津北部地方の五穀豊穣等を祈願して玄米12俵を寄進する慣わしであったという。

明治9年(1876)郷社に列格。

明治13年(1880)喜多方の大火により社殿が類焼した。現在の本殿は明治14年(1881)、拝殿・幣殿は明治22年(1889)に再建されたものである。

昭和5年(1930)県社に昇格した。

毎年8月2・3日に行われる例大祭には太鼓台(山車)12台が参加し、勇壮な太鼓の競演が行われる。

市神社

相殿の市神社は市場の守護神である。永禄元年(1558)4月2日に祀られ、市が立った。永禄7年(1564)熱塩街道沿いに町割りが行われ、神事が初めて行われた。以来、毎年最初の市となる正月12日には北宮諏方神社の市神様が市中の御仮屋に祀られた。現在も小荒井初市として賑わっている。

写真帖

参道

参道。右側の社号標には「縣社 北宮諏方神社」とある。

鳥居

境内正面の鳥居。

手水舎

手水舎。

狛犬

狛犬。

庚申供養塔

庚申供養塔。

石祠

石祠。

拝殿

拝殿。明治22年(1889)の再建、瓦葺きの入母屋造。

拝殿の扁額

拝殿の扁額「縣社北宮諏方神社」。揮毫は明治神宮宮司有馬良橘とある。元は海軍の軍人で、日清・日露戦争で活躍し、海軍大将にまでなった人物だが、明治天皇の侍従武官であった経歴により、昭和6年(1931)から18年(1943)まで明治神宮の宮司を務めた人物のようだ。

神楽殿

拝殿の脇には神楽殿がある。

本殿

本殿。明治14年(1881)の再建。流造。

愛宕神社

同じ境内に愛宕神社と稲荷神社が鎮座しているが、北宮諏方神社の境内社というわけではなく、独立した宗教法人になっており、兼務社という扱いのようだ。

愛宕神社は、慶長12年(1607)蒲生氏郷が斎藤伊賀守に神像を祀らせ、蒲生家の祈願所とした。御祭神は火産霊命。一般に愛宕神社は火防の神として信仰を集めるが、当社は明治13年(1880)の喜多方大火でも類焼を免れたという。

愛宕神社鳥居

愛宕神社の鳥居。

愛宕神社

愛宕神社の社殿。石垣の上に建っている。天明年間(1781~89)の建造。岩手県平泉の中尊寺の弁慶堂と同じ造りとのこと。

稲荷神社

御祭神は宇迦之御魂命。『会津風土記』によると、文禄年間(1592~96)の勧請という。

稲荷神社鳥居

稲荷神社の鳥居。

稲荷神社

稲荷神社。

メモ

参拝は平成24年の夏。出雲神社からこちらに向かったため、表参道ではなく東の稲荷神社からの参拝になった。手入れの行き届いた気持ちのよい境内だった。

交通アクセス

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