
子安天満宮の通称で知られる菅原神社は、天文年間(1532~55)巣鴨村の名主である保坂氏の祖・仁平三河守盛義が勧請したことに始まるという。江戸二十五天神の一社に数えられ、一帯は巣鴨天神山の名で知られていた。往時の別当は江戸六地蔵で知られる真性寺で、『江戸名所図会』の真性寺の挿絵には天神山が描かれている。
| 正式名称 | 菅原神社〔すがわらじんじゃ〕 |
|---|---|
| 通称 | 子安天満宮〔こやすてんまんぐう〕 |
| 御祭神 | 菅原道真公 |
| 社格等 | 旧無格社 |
| 鎮座地 | 東京都豊島区北大塚1-7-3 [Mapion|googlemap] |

御朱印

(1)平成29年の御朱印。中央の朱印は「菅原神社」。右上は「子安天満宮」、左下に梅の花の印。
菅原神社について

御祭神
■菅原道真公
御由緒
菅原神社は江戸二十五天神の一つで、巣鴨天神山の子安天満宮として知られる。
天文年間(1532~55)巣鴨村の名主を務めた保坂氏の祖・仁平三河守盛義が三河国から巣鴨に来住し、陣屋と称する屋敷を構えた。そして屋敷の東西南北の小高い場所に祀って屋敷神とした。すなわち北に氷川神社、南に熊野神社、西に稲荷神社、東に天神社で、この天神社が当社の起源である。
天神社は四社の中で最も大きく、明治の頃には麓の道まで約1,120坪の境内地があったという。一帯は巣鴨の天神山として知られていた。
仁平盛義の子孫は帰農して保坂姓に改め、新田開発を行った功績により巣鴨村の名主となったが、代々当社を崇敬したという。
江戸時代には医王山真性寺が別当であった。因みに『江戸名所図会』の真性寺の挿絵には遠くに天神山が描かれている。

赤で囲まれているところが天神山。

天神山の部分を拡大したもの。樹木に覆われた小高い丘に社殿がある。
昭和20年(1945)戦災により社殿が焼失。戦後間もなく再建された。さらに昭和46年(1971)社殿や鳥居を新築、境内を整備した。
現在の社殿は更にその後に再建されたものではないかと思われるが未確認。
写真帖

社頭風景。巣鴨警察署から少し東に行ったところに鎮座している。山手線のすぐ北側。

鳥居。

境内。右側に社務所、正面に社殿。

社殿。両側に梅の木。

拝殿。

拝殿、斜め前から。

拝殿に掲げられた扁額「子安天満宮」。

本殿。
メモ

JR大塚駅から徒歩圏内。ネットで御朱印がアップしてあるのを見て、28年の夏に参拝した。神職さんはいらっしゃらなかったので、翌年、1月の初天神に参拝したところ、社務所で集まりが行われており、御朱印をいただくことができた。いらっしゃるのは不定期なのではないかと思われる。
菅原神社の概要
| 名称 | 菅原神社 |
|---|---|
| 通称 | 子安天満宮 |
| 旧称 | 天神社 |
| 御祭神 | 菅原道真公〔菅原道真公〕 |
| 鎮座地 | 東京都豊島区北大塚1丁目7番地3号 |
| 創建年代 | 天文年間(1532~55) |
| 社格等 | 旧無格社 |
| 例祭 | 5月25日 |
交通アクセス
■JR山手線「大塚駅」より徒歩約5分
参考文献
・菅原神社境内掲示
・『江戸名所図会』
・『新編武蔵風土記稿』
・『北豊島郡誌』北豊島郡農会(大正7年)
・『豊島区史』坂本辰之助(昭和16年)
・『東京都神社名鑑上巻』東京都神社庁(昭和61年)
・『平成「祭」データ』
・東京都神社庁公式サイト

