御園神社 | 東京都大田区

御園神社

御園神社は、古くは石居神〔じゃごじ〕社と称し、おしゃもじ様と通称されていた。社伝によれば、多摩川の洪水で流れ着いた猿田彦命の御神体を祀ったことに始まるという。明治21年(1888)境内を拡大・整備して御園神社と改称し、御園村の鎮守とされた。

正式名称 御園神社〔みそのじんじゃ〕
御祭神 天宇受売命 猿田彦命
社格等 旧無格社
鎮座地 東京都大田区西蒲田7-40-8 [Mapion|googlemap]
公式サイト http://misono.kamatahachiman.org/
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目次

御園神社の御朱印

  • 御園神社の御朱印

    (1)

  • 御園神社の御朱印

    (2)

(1)平成21年拝受の御朱印。社号のスタンプのみ。

(2)平成28拝受の御朱印。中央の朱印は「御園神社」。

御由緒

創建年代は不詳。社伝によれば、多摩川の洪水で流れ着いた猿田彦命を祀り、「おしゃもじ様」と称したことにはじまるという。『新編武蔵風土記稿』には「石居神〔じゃごじ〕社」とある。

なお、『蒲田町史』(昭和7年)は当社の創建について、元は原村(現在の東矢口2・西蒲田7・多摩川2)にあったものが多摩川の洪水で現在の場所に流れ着いたという説と、御薗村と原村(※飛地であろう)が地続きであったことから両村の間で問題となり、最終的に御薗村のものになったという二つの説を紹介した上で、どちらとも判然としないとしている。

もともと御園村と女塚村の鎮守は女塚村の八幡社で、現在のJR蒲田駅東口付近に鎮座していた。しかし明治5年(1872)新橋-横浜間に鉄道が敷設され、境内地が収容された。そのため、明治21年(1888)御園村は石居神社の境内を拡大・整備し、御園神社と改称して鎮守とした。それ以前の境内はしゃもじ形をしていたという。

因みに、旧鎮守の八幡社は女塚(西蒲田六丁目)の現社地に遷され、女塚神社と改称して女塚村のみの鎮守となった。

昭和20年(1945)戦災で焼失。同35年(1960)現在の社殿が再建された。

交通至便の地にあることから、社務所を利用してさまざまな会が活動しているとのことである。

新編武蔵風土記稿

石居神〔じゃごじ〕

年貢地。西の方、小林村の境にあり。この地の鎮守なり。祭神及鎮座の年歴詳かならず。社九尺に七尺。祭礼は毎年十一月朔日をもて行へり。村民の持。

八幡社

除地四畝。村の東南にあり。当村及び御園村の鎮守なり。(後略)

写真帖

  • 鳥居

    鳥居

  • 手水舎

    手水舎

  • 伏見稲荷神社

    伏見稲荷神社

  • お福神社

    お福神社(おしゃもじ様)

  • 栄龍神社

    栄龍神社

  • 神楽殿

    神楽殿

  • 拝殿

    拝殿

  • 社号額

    社号額

  • 本殿

    本殿

メモ

境内には伏見稲荷神社、お福神社、榮龍神などが鎮座する。お福神社はおしゃもじ様を祀るということで、本社の御祭神との関わり等、興味が湧く。
本務社は蒲田八幡神社。御朱印は他の兼務社と同じく、蒲田八幡神社で頼めば拝受できる。ただし、黒の社号のスタンプだけなので、これを御朱印といっていいものか、迷うところである。

御園神社の概要

名称 御園神社
旧称 石居神社 おしゃもじ様
御祭神 天宇受売命〔あめのうずめのみこと〕
猿田彦命〔さるたひこのみこと〕
鎮座地 東京都大田区西蒲田七丁目40番8号
創建年代 不詳
社格等 旧無格社
例祭 7月第3土・日曜日
神事・行事 1月1日/元旦祭
2月22日/祈年祭
6月23日/夏越大祓
11月25日/新嘗祭
12月24日/年越大祓

交通アクセス

□JR京浜東北線線・東急多摩川線・池上線「蒲田駅」より徒歩約7分

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