富賀岡八幡宮
砂村新田の鎮守。砂村新田は万治2年(1659)砂村新左衛門によって開発されたが、それ以前から鎮座していたと伝えられる。一説には長盛法印が...
砂村新田の鎮守。砂村新田は万治2年(1659)砂村新左衛門によって開発されたが、それ以前から鎮座していたと伝えられる。一説には長盛法印が...
享保8年(1723)近江屋庄兵衛が幕府に願い出、深川洲崎十万坪と呼ばれた当地を開発して千田新田を開いた。その頃、当社は小さな祠だったが、...
社伝によれば、前九年の役に従った源頼義・義家父子の家臣・猿藤太が当地の入り江で力尽きてしまった。地元の漁師たちが当社の境内に塚を築いて丁...
社伝によれば推古天皇の御代(592~628)の創建で、旧別当・龍眼寺開山の沙門良博が応永10年(1403)に再建したという。柳島(現在の...
社伝によれば天智天皇4年(665)藤原鎌足が東国に下向した際、香取神宮の御分霊を勧請したことに始まる。藤原秀郷が平将門追討の際に戦勝を祈...
元禄年間(1688~1704)富岡八幡宮の東を埋め立ててできた洲崎の地に、護持院の隆光大僧正が弘法大師御作と伝えられる弁財天を祀ったこと...
深川の地を開拓した深川八郎右衛門が屋敷内に祠を設け、伊勢神宮の御分霊を勧請したことに始まる。当時の深川は住む人も少ない原野であったという...
白髭神社は、葛飾郡葛西川村の鎮守。俗に葛西川の白髭神社と呼ばれた。社伝によれば天和2年(1682)当時の庄屋であった鹿倉吉兵衛と関口一郎...
社伝によれば弘法大師の創建で、文和年間(1352~56)近江の三井寺の僧・源慶が再興したという。元禄6年(1693)俳人・其角が参拝した...
社伝によれば、鎌倉幕府滅亡後、北条一門が当地に逃れ、稲荷大明神を奉斎したことに始まる。御神木の大イチョウは、暴風雨で飛んできたイチョウの...