平河山 法恩寺(本所法恩寺)

本所法恩寺

名称 平河山 法恩寺
通称 本所法恩寺
所在地 東京都墨田区太平1-26-16 [Mapion|googlemap]
公式サイト http://houonji-web.jp/

【略縁起】
長禄2年(1458)太田道灌が江戸城を築いた際、京都より本住院日住上人を招き、城内鎮護の祈願所として城の北東の開創した。創建当所は本住院と称したが、道灌の孫・資高が父の法号に因んで法恩寺、山号を地名に因んで平河山と改めた。慶長10年(1605)江戸城拡張のため神田柳原に移転、谷中を経て元禄8年(1695)現在地に移転した。

目次

法恩寺の御首題

  • 本所法恩寺の御首題

御首題の右に「如説修行」左に「功徳甚多」。中央の朱印は「法恩寺」。

法恩寺について

山号 平河山(ひらかわざん)
寺号 法恩寺(ほうおんじ)
院号
通称 本所法恩寺
御本尊 三宝尊
所在地 東京都墨田区太平一丁目26番16号
創建年代 長禄2年(1458)
開山 本住院日住上人
開基 太田道潅公
宗派等 日蓮宗

覚え書き

寺伝によれば、長禄2年(1458)太田道潅が江戸城を築いた際、京都より本住院日住上人を招き、城内鎮護の祈願所として城の艮(北東)の方角・平川村に開創したことに始まるという。

創建当初は本住院と称したが、道灌の孫・太田資高が父・法恩斎(道灌の嫡子・太田資康)の三回忌に当たり、寺号を法恩寺、山号を地名に因んで平河山とした。豊臣秀吉・徳川家康はともに関東下向の際、当寺で休息したとも伝えられる。

慶長10年(1605)江戸城拡張のため神田柳原に移転。さらに谷中清水町に移った後、元禄8年(1695)現在地に移転した。谷中の宗林寺・浅草の幸龍寺とともに本圀寺末の江戸触頭とされ、往時は塔頭20ヶ寺、末寺11ヶ寺を擁したという。

関東大震災・東京大空襲で伽藍は灰燼に帰したが、昭和29年(1954)現在の本堂が再建された。

参道入口には「史蹟 太田道潅公開基之寺」の碑があり、境内には太田道潅の墓や山吹の里の逸話を描いた記念碑などがある。また、本堂の背後には東京スカイツリーがそびえている(参拝時はまだ工事中であった)。

一度目の参拝時、ご住職は不在で書き置きの御首題を拝受した。下に掲載したものは、再度の参拝時、帳面にいただいたものである。気さくなご住職で、最近は江戸十大祖師参りで御首題を頂きに来る人が増えていること、江戸十大祖師については学者などの研究もなく、ほとんどわからないことなど、いろいろ話を伺うことができた。

写真帖

  • 参道入口

    参道入口

  • 山門

    山門

  • 戦災殉難者供養之碑

    戦災殉難者 供養之碑

  • 開山開基の墓

    日住上人(中央)と太田道潅(右)の墓

  • 平河清水稲荷

    平河清水稲荷

  • 太田道灌公記念碑

    太田道灌公記念碑

  • 本堂

    本堂

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