
総鎮守八幡神社は矢野郷三十三ヶ村の総鎮守で、鎮座地・八幡浜の地名は当社に由来する。社伝によれば、養老元年(717)の創建とされる。全国に八幡大神を祀る神社は約4万5千社あるとされるが、当社はその中でも4番目に古い神社であるという。武家の守護神として歴代領主の崇敬厚く、特に宇和島藩の5代藩主・伊達村候は度々参拝し、社殿や祭具に家紋の使用を許可した。
| 正式名称 | 八幡神社〔はちまんじんじゃ〕 |
|---|---|
| 御祭神 | 誉田天皇 〈相殿〉大帯媛命 田心媛命 湍津媛命 市杵島媛命 |
| 社格等 | 旧県社 |
| 鎮座地 | 愛媛県八幡浜市矢野神山510 [Mapion|googlemap] |
| 公式サイト | https://hachimansama.sakura.ne.jp/wp/ |

御朱印

(1)平成21年拝受の御朱印。中央の朱印は「矢野郷総鎮守神山八幡神社」。左上の印は八稜鏡に三つ巴の神紋と弓矢、「八幡神社参拝」。
総鎮守八幡神社について

御祭神
■誉田天皇
■大帯媛命
■田心媛命
■湍津媛命
■市杵島媛命
宇佐神宮の御祭神と同じで、順序も同じになっているとのこと。また、『平成「祭」データ』によると、下記の神々を合祀している。
■天穂日命
■底筒男命
■中筒男命
■表筒男命
御由緒
八幡浜市の矢野神山に鎮座する八幡神社は矢野郷33ヶ村の総鎮守で、総鎮守八幡神社と通称される。矢野郷は現在の八幡浜市・西宇和郡全域に大洲市平野町野田・平地を含む地域である。八幡浜の地名は当社に由来し、『愛媛面影』には「八幡大神立たせるによりて八幡浜と名づく」とある。
社伝によれば、当地は神功皇后三韓征伐ゆかりの霊跡であり、養老元年(717)社家の祖である清家治部大夫清原貞綱が創建したとされる。
『宇和旧記』は地元の伝承として、この浦の干潟に夜な夜な光るものがあり、浦人が見に行くと御神体があったという。浦人がこれを祀るに相応しい場所について話し合っていると御神体が消失してしまった。その後、鳥越という山の麓で光っていたので、そこに社殿を建立しようとしている内に再び消えてしまった。そして、現在の社地に光るようになったので社殿を建て、御神体を納めて氏神としたと記している。
『八幡宇佐託宣集』などによれば、八幡大神は当地より海を渡って豊後国国崎郡奈多浜(大分県杵築市の奈多宮)に上陸し、勝地を求めて豊後・日向・肥後を巡幸した後、現在の宇佐神宮の地に鎮座したという。
全国に八幡大神を祀る神社は約4万5千社あるが、当社はそれらの中でも誉田八幡宮・宇美八幡宮・香椎宮に次いで4番目に古い神社であるとされる。
宇佐神宮では、かつて行幸会という神事が行われていた。これは6年毎に新しく御験(薦枕)を造り、宇佐宮と縁深い八ヶ社を巡って宇佐神宮を納められる神事である。宇佐神宮に納められていた旧い御験は奈多宮に送られて6年間祀られる。そして、次の行幸会で海に流されるのだが、伊予国八幡浜の当社に納められたとも伝えられ、当社と奈多宮、宇佐神宮の関わりの深さを偲ばせる。
武家の守護神として武将の崇敬が篤く、治暦3年(1067)伊予守・源頼義は河野親経に命じて社殿を再建した。元寇での活躍で知られる河野通有は弓矢を奉納、萩森城主・宇都宮房綱は社殿を造営し、祭費を寄進した。
歴代宇和島藩主も深く当社を崇敬し、中でも5代藩主・伊達村候は社殿・祭具に藩主の家紋の使用を許し、度々参拝した。
元禄5年(1692)八幡浜の大火により社殿が全焼、古記録・宝物等も多くを焼失した。元禄8年(1695)再建。さらに文政6年(1823)拝殿・本殿を造営した。
明治の初めに郷社に列格し、昭和8年(1933)県社に昇格した。
昭和42年(1967)御鎮座1250年の式年大祭を執行し、境内・社殿を整備した。しかし昭和53年(1978)放火により社殿が全焼。昭和58年(1983)復興工事が完了した。
矢野神山

当社の境内一帯は歌枕「矢野神山」として知られる。
「矢野神山」は万葉集の柿本人麻呂の歌「妻ごもる 矢野の神山 露霜に 匂ひそめたり 散らま惜しくも」をはじめ、数多くの名歌が詠まれている。
この「矢野神山」については諸説あるが、宇和島藩5代藩主・伊達村候は当地こそ矢野神山であると考え、御歌所司中納言・冷泉為村に検考を依頼した。これを受けて宮中御歌所は5年をかけて全国の名勝旧跡を検討し、明和6年(1769)「万葉史蹟矢野神山は伊予国宇和郡八幡浜浦八幡宮である」と結論し、「錦の御旗・御墨付」を賜った。
写真帖

一の鳥居。八幡浜駅から港に向かう商店街に面して鳥居が建ち、その先に石段がある。鳥居の左側の社号標は「県社 八幡神社」。

常夜灯のそばに二宮忠八の寄付石があった。二宮忠八は飛行器を考案したことで知られるが、当社のすぐ近くに生誕の地がある。

石段の途中に建つ二の鳥居。延宝6年(1678)の年号があり、八幡浜市の文化財に指定されている。その上に三の鳥居が見える。

三の鳥居のそばに建つ社号標。右脇に「二宮忠八翁ゆかりの地」とあり、上に「烏型飛行器」の図。

注連柱。金属製の注連縄がかけられている。

拝殿前の石段、その上に三輪鳥居が建っている。

拝殿前の石鳥居に掲げられた扁額「八幡大神宮」。

三輪鳥居の両側にある子持ち狛犬。後ろ足の足元に子どもがいる。

拝殿。

拝殿の左側には応神天皇を抱く神功皇后の石像。

拝殿右側に「万葉史蹟 矢野神山」の碑。

木造の拝殿と本殿の間に鉄筋コンクリートの建物がある。幣殿だろうと思われる。

本殿。

本殿の後ろに茶筅塚がある。

松尾神社(左)と髪長神社(右)。
松尾神社の御祭神は大山咋神。詳細はわからないが、京都の松尾大社からの勧請であろう。
髪長神社は、養老4年(720)八幡神社を創建した神主・清家治部大夫貞綱が八幡浜本浦に髪長媛命を鎮祭し、町内守護神としたことを創祀とする。明治42年(1909)八幡神社境内に遷座した。

生目八幡神社。御祭神は、応神天皇・日向三代神・藤原景清公。詳細はわからないが、宮崎県宮崎市の生目神社からの勧請であろう。

境内社。左奥の石段の上に鎮座するのが愛宕神社、石段の右が若宮神社。
愛宕神社は、元禄5年(1692)の八幡浜の大火で八幡神社が焼失し、元禄8年(1695)に再建が成った時、八幡浜が再び火難に遭わないよう勧請された。御祭神は波邇夜須毘古神・波邇夜須毘売神。
若宮神社の御祭神は大雀命(仁徳天皇)。宝亀6年(775)八幡神社の神主・清家五右衛門尉貞徳が八幡浜本浦に大雀命を勧請し、町内守護神として祀ったことに始まる。明治41年(1908)八幡神社境内に遷座した。
メモ
参拝は平成21年の正月。八幡浜駅から港の方に向かって歩いて行くと、突然小高い岡と鳥居が現れる。正月で、参道の中央には「新年厄除祈願祭」の幟が立ち、風情はあるが、写真撮影には厳しかった。平地が少ないので窮屈な感じだが、木造の拝殿、本殿はなかなか立派なものである。拝殿と本殿に高度差がある。間に鉄筋コンクリート造の建物があるのだが、幣殿なのだろうか、それとも拝殿の一部なのだろうか。眼下には八幡浜の街並みを見下ろすことができ、総鎮守の名にふさわしいロケーションであった。
総鎮守八幡神社の概要
| 名称 | 八幡神社 |
|---|---|
| 通称 | 総鎮守八幡神社 矢野神山八幡神社 |
| 旧称 | 八幡宮 |
| 御祭神 | 誉田天皇〔ほむだのすめらみこと〕 大帯媛命〔おおたらしひめのみこと〕 田心媛命〔たごりひめのみこと〕 湍津媛命〔たぎつひめのみこと〕 市杵島媛命〔いちきしまひめのみこと〕 〈相殿〉 天穂日命〔あめのほひのみこと〕 底筒男命〔そこつつのおのみこと〕 中筒男命〔なかつつのおのみこと〕 表筒男命〔うわつつのおのみこと〕 |
| 鎮座地 | 愛媛県八幡浜市矢野神山510番地 |
| 創建年代 | 養老元年(717) |
| 社格等 | 旧県社 |
| 例祭 | 10月19日 |
| 神事・行事 | 1月1日/歳旦祭 2月3日/節分星祭(夜祈禱) 4月19日/春季大祭 6月30日/大祓邪気祓ワヌケ祭 8月19日/御鎮座記念日祭・御献花祭 11月15日/七五三祭 |
| 文化財 | 〈県指定有形文化財〉八幡愚童記 |
交通アクセス
□JR予讃線「八幡浜駅」より徒歩約13分。
参考文献
・八幡神社公式サイト・由緒書
・『愛媛面影』半井梧菴
・『明治神社誌料』明治神社誌料編纂所(明治45年)
・『八幡浜市の文化』浅井伯源(昭和10年)
・『愛媛県神社誌』愛媛県神社庁(昭和49年)
・『託宣(宇佐神宮の)』酒井冨蔵(昭和59年)
・『八幡浜市誌』八幡浜市誌編纂会(昭和62年)
・日本歴史地名大系『愛媛県の歴史』
・『平成「祭」データ』
・愛媛県神社庁公式サイト
・Wikipedhia

