昭和10年頃、空前のスタンプブームやそれに伴う諸問題を背景として「御朱印」という名称が使われるようになり、宗教的な意義が再確認された。
ここでは、それ以降から現代に至る流れを見てみたいと思う。
昭和10年代から戦後
戦後の教育により、戦前は戦雲に覆われた暗い時代が続いていたかのように刷り込まれているが、当時の集印帖から見えてくるのは旅行が盛んで、趣味に没頭できる明るく豊かな時代である。
特に昭和15年(1940)の皇紀二千六百年にかけて、名古屋から伊勢、橿原、京都へと巡る旅行コースが人気を集めていたことがわかる。また、日光から鹽竈・松島、成田山新勝寺と水郷・鹿島、九州一周などが人気コースだったようだ。
しかし一方で、戦時色が強くなりゴム不足になったことから、郵便局の風景印は一部を除いて使用が停止される。スタンプブームはこの頃に終わったと考えていいのではないだろうか。
寺社の御朱印については、昭和18年(1943)から19年(1944)くらいまでのものを見ることができる。戦勝祈願という側面もあるだろう。
しかし、これまで昭和20年(1945)の御朱印は見たことがない。戦況の悪化と終戦後の混乱で、旅行や御朱印どころではなくなったのであろう。
戦後しばらくは、戦前・戦中の延長と考えられる。世相が混乱していたので、御朱印をいただく人は減ったかもしれないが、授与自体は続いていた。昭和23年(1948)の御朱印が確認できるが、形式もそれほど変わっていないと思われる。
昭和40年後半以降の変化
昭和40年代後半になると、神社の御朱印に変化が見え始める。
それまで、神社の御朱印は大正時代からの流れで、墨書なし押印のみが主流であった。しかし、この頃から再び神社名などの揮毫を入れる神社が増え始めるのである。
また、徐々に「奉拝」と書く神社が現れ始めた。昭和50年(1975)前後には、ごく少数だが「奉拝」と書いてある御朱印が見かけられる。
「奉拝」は「奉拝礼」の略で、寺院において「奉納経」「奉納」の代わりに書くようになったものである。納経の実態がないのに「奉納経」と書くことへの疑問、あるいは批判から用いられるようになったのだろうと思われる。古くは江戸時代にも見られるが、一般化したのは大正から昭和である。
神社では、江戸時代後期に「奉納経」と書かなくなってからの伝統で、明治以降も「奉拝」という文字は入れなかった。戦前の集印帖で、神社の御朱印に「奉拝」と書いてあるのは、例外なく集印帖の持ち主が書き入れたものである。
今でも、伊勢神宮をはじめ「奉拝」と書かない神社の御朱印は少なくないが、歴史的に見ると、書かないほうが伝統を踏まえているといえる。とはいえ、今では神社の神職さんでも、御朱印には「奉拝」と書くものだと思っている方が多いのではないだろうか。
昭和60年代になると、浄土真宗の本願寺派と大谷派が、宗派の方針として御朱印の授与を取りやめた。ブログの読者の方からの情報によると、昭和62年(1987)の東本願寺の御朱印があったとのことである。
平成の御朱印ブーム
平成20年頃から、一部の年寄りの趣味のような扱いを受けていた御朱印が、老若男女を問わない趣味として広がりを見せるようになり、近年はメディアにも取り上げられるなど広く注目されるようになった。
歴史的に見れば、19世紀の前半の庶民に納経帳が普及した時代、昭和初期のスタンプブームと連動した御朱印拝受の流行以来の、3度目のブームといえるかもしれない。
平成の御朱印ブームは、インターネットと連動していることが特徴であろう。御朱印は極めてインターネットとの相性がよい。御朱印ブームのきっかけについても、SNSなどで御朱印がアップされたことから多くの人に認知され、関心を惹いたことが大きいという説がある。
例えば、筆者が若い頃、周囲に御朱印を趣味にしている人がいなかったため、四国八十八ヶ所の納経帳は知っていても、それ以外の神社やお寺で御朱印がいただけるということを知らなかった。平成元年に四国八十八ヶ所を回ったとき、初めて他の寺社でも御朱印がいただけるということを知ったのである。
それ以降でも、インターネットが普及するまでは、どこにどんな神社やお寺があるかという情報を集めるのはなかなか大変だった。地元ならともかく、他地方については有名な神社やお寺でなければ、その存在すら把握できなかったのである。
ところが、インターネットが普及したことにより、御朱印や寺社に関する情報を集めるのが格段に楽になった。さらにSNSの普及により、リアルタイムで御朱印に関する情報が得られるようになった。インターネットがなければ、限定御朱印などは存在しなかったであろう。
御朱印の今後は?
しかし、ブームはよいことばかりをもたらしたわけではない。
御朱印や御朱印帳をネットオークションで転売したり、参拝もせずに御朱印だけいただくという不心得者も現れ、特に転売問題に関してはメディアで取り上げられることもある。
ブームになると、人が増える分だけ不心得者も増えるのは自然の摂理であって、どうしようもない部分がある。これは昭和のスタンプブームも同様である。
しかし、スタンプブームで問題が生じたために、「御朱印」という名前が定まり、宗教的な価値が改めて確認されたように、問題は現状を見直し、次の段階へ一歩を進めるためのきっかけともなり得る。
御朱印を取り巻く問題は、一部の不心得者による不祥事だけではない。社会構造や宗教意識の変化により、御朱印を授与する神社仏閣でも大きな変化が起きている。特に地方の過疎地においては維持が困難になっている寺社も少なくない。
御朱印という文化を今後も守り続けていくことができるのか。御朱印を授与する寺社、拝受する人々の意識と行動によって変わっていくことであろう。
一見華やかな平成の御朱印ブームは、御朱印の歴史の重大な岐路とも言えるのである。