伊豫神社

伊豫神社

伊豫神社は、孝霊天皇の第三皇子で伊予国を統治した彦狭島命を祀る。奈良時代の天平神護2年(766)従五位下に叙され、神戸2烟を充てられた。延喜の制では名神大社に列する。中世以降は親王宮と称し、領主・河野氏から祖神として崇敬された。江戸時代には、藩主が参勤交代に際して必ず奉幣し、道中の安全を祈願したという。

正式名称 伊豫神社〔いよじんじゃ〕
御祭神 彦狭島命
社格等 式内論社(名神大) 旧県社
鎮座地 愛媛県伊予郡松前町神崎193 [Mapion|googlemap]
最寄り駅 北伊予(JR予讃線)
バス停:晴光院前
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御朱印

伊豫神社の御朱印は、本務社である伊豫稲荷神社の宮司さんのお宅でいただいた(平成20年当時)。

  • 伊豫神社の御朱印

    (1)

(1)平成20年拝受の御朱印。朱印は「伊豫神社」。

御由緒

御祭神

■主祭神…彦狭島命

彦狭島命〔ひこさしまのみこと〕は第7代・孝霊天皇の皇子で、伊予皇子とも呼ばれ、越智氏の祖とされる。

■配祀…愛比売命、伊予津彦命、伊予津姫命、大日本根子彦太瓊尊、細媛命、速後神命、伊予親王、藤原吉子

上記の配祀神は『平成「祭」データ』による。『明治神社誌料』には、伊予親王と藤原吉子の名はない。

愛比売命〔えひめのみこと〕は伊予国の国魂神であり、愛媛県の名の由来となっている。伊予津彦命は伊予・久米両郡の開拓神で、伊予津姫命はその妻とされる。

大日本根子彦太瓊尊〔おおやまとねこひこふとにのみこと〕は彦狭島命の父・孝霊天皇、細媛命〔くわしひめのみこと〕はその皇后。ただし、彦狭島命の生母は妃の絙某弟〔はえいろど〕である。

速後神命〔はやのちあがりのみこと〕は、『先代旧事本紀』の「国造本紀」によれば、成務天皇の御代に伊余(伊予)国造に任じられたという。

伊予親王は桓武天皇の第三皇子で、藤原吉子〔ふじわらのよしこ〕はその母。二人は謀反を疑われて捕らえられ、川原寺に幽閉されたため、毒を飲んで抗議の自殺をした。後に無実が明らかになったために親王号を復され、一品(親王に与えられる位階の最高位)が贈られた。貞観5年(863)神泉苑での御霊会では母子ともに祀られ、上御霊神社・下御霊神社などで御祭神とされている。また、河野氏や伊予橘氏の祖とされる藤原為世を伊予親王の子とする伝承がある。

伊豫神社の御祭神については諸説あったようで、彦狭島命とするのは越智・河野氏系図に基づくと思われる。一方、愛媛県注進状では伊予津姫命としていたようだ。

『伊豫古蹟志』は『日本書紀』の彦狭島王についての記述を根拠として祭神・彦狭島命とする説を否定し、伊予親王を祀るとする(ただし、彦狭島王は崇神天皇の孫であり、孝霊天皇皇子の彦狭島命とは別人)。

『特選神名牒』は、伊予津姫命とする注進状に対し、伊予津彦命(伊豫豆比古命神社の御祭神)が小社であるのに対し、比売神が大社であるとは考えられないとする。『続日本紀』に「久米郡伊豫神」とあることなどから、「国造本紀」に見える久味(久米)国造の祖・伊与主命〔いよぬしのみこと〕であろうとしている。

御由緒

文永年間(1264~75)の火災で社記等が焼失したため、創建などについては詳らかでないが、神社明細帳では景行天皇の御代(70~130)現社地に勧請されたとする。

御祭神の彦狭王命は孝霊天皇の皇子で伊予皇子とも呼ばれ、越智氏の祖とされる。社伝によれば、詔によって伊予国に下向し、伊予郡神崎庄に住んだ。後にその地が霊宮と崇められるようになったのが、当社の起こりであるという。

古くは伊豫村神とも称した。朝廷の崇敬篤く、天平神護2年(766)に従五位下を授けられ、神戸2烟を充てられた。貞観4年(862)には従四位下、貞観8年(866)正四位下、貞観12年(870)正四位上と進んだ。

中世以来、親王宮(しんのぶ)あるいは親王宮大明神と称されてきた。建長7年(1255)の『伊予国神社仏閣等免田注文』にみえる「伊与新王宮」は当社のことであろうという。源義経が社殿を造営したといい、また、河野氏も祖神として尊崇し、天正年間(1573~93)河野通直が改めて社殿を造営と伝えられる。

江戸時代、松山藩主は参勤交代に当たって必ず奉幣し、道中の安全を祈願した。貞享元年(1684)旧称の伊豫神社に復した。

明治6年(1873)8月8日、県社に列格。

明治30年(1897)国幣社昇格の気運が高まり、宮内省より技官の青山盈氏が来社して、禁足地である入らずの森を発掘した。その結果から国幣社昇格の打診があったが、氏子の数が少なく、経済的負担に耐えられないということで廃議になったという。

伊豫神社の論社

他の式内名神大社・伊豫神社の論社としては、当社からほど近い伊予市上野の伊豫神社があるほか、松山市居相の伊豫豆比古命神社を当てる説がある。今治藩の藩医・国学者であった半井梧庵が著した『愛媛面影』の説くところで、根拠に、伊豫豆比古命神社を延喜式神名帳の伊豫神社、当社(親王宮)を伊豫豆比古命神社とする。

五輪塔

社殿の後方に数基の石の五輪塔がある。ここはかつて伊豫神社の旧別当・真常寺(現・晴光院、曹洞宗)の境内であった。貴顕の尊霊を祀る廟所であったと伝えられ、「入らずの森」と呼ばれて畏敬されていたという。

全容を見ると、各輪がやや調和を欠くことから、倒壊・散逸した異石を組み合わせたものであろうというが、その年代や由緒等に関する史料は残されていない。

明治30年(1897)宮内省の青山盈氏が調査し、鎌倉時代後期のものであろうと推定した。この調査に付随して地下の試掘を行ったが、60cmほど掘り進んで、それ以上は自粛したという。出土した青銅経筒や宋代の磁器壺、刀子、布目瓦、土器、和鏡などは、松前町の文化財第一号に指定されている。

写真帖

  • 社頭風景

    社頭風景

  • 社号標

    社号標

  • 参道

    参道

  • 厳島神社

    厳島神社

  • 猿田彦神社・竈神社

    猿田彦神社・竈神社

  • 五輪塔

    五輪塔

  • 拝殿

    拝殿

  • 本殿

    本殿

メモ

参道でカメラを構えていると、通りかかった老紳士に声を掛けられ、境内を案内してもらった。かつては境内に泉が湧き、池があったことなど興味深い話を伺った。中でも興味深かったのは、上記の五輪塔の調査に関連して、宮内省から官社昇格の打診があったという話である。境内の拡張整備を行うための図面まで作られたが、氏子が少ないため経済的負担に耐えられないということで、結局、廃議になったという。

当社は兼務社で、伊予市の伊予稲荷神社の禰宜さん(平成20年当時。平成29年現在は宮司となっているようだ)が宮司を兼ねている。そこで、御朱印拝受を兼ねて伊予稲荷神社を参拝。

そこでも宮司さんから官社昇格の話など、いろいろな話を伺った。宮司さんが伊予神社に関わる不思議な問題として指摘されたのは、御祭神の問題。当社では彦狭島命すなわち伊予皇子を主祭神としているが、親王宮という社号からすれば、親王という呼称は律令時代以降のものなので彦狭島命のこととは考えられず、むしろ伊予親王に関わるものと考えるほうが自然であり、当社の歴史を考える上での一つの謎であろうとのことであった。

伊豫神社の概要

名称 伊豫神社[伊予神社]
旧称 親王宮 伊豫親王宮 今岡宮 伊豫村大明神
御祭神 彦狭島命〔ひこさしまのみこと〕
〈配祀〉
愛比売命〔えひめのみこと〕
伊予津彦命〔いよつひこのみこと〕
伊予津姫命〔いよつひめのみこと〕
大日本根子彦太瓊尊〔おおやまとねこひこふとにのみこと〕
細媛命〔くわしひめのみこと〕
速後神命〔はやのちあがりのみこと〕
伊予親王〔いよしんのう〕
藤原吉子〔ふじわらのよしこ〕
鎮座地 愛媛県伊予郡松前町神崎193番地
創建年代 不詳
社格等 式内社(論) 旧県社
延喜式 伊豫國伊豫郡 伊豫神社 名神大
例祭 10月14日
神事・行事 1月1日/歳旦祭
2月上午の日/初午祭
4月21日/敬老祭
4月29日/春季大祭(お溝祭)
7月30日/夏季大祭(夏越祭)
12月1日/新穀感謝祭
※『平成「祭」データ』による

交通アクセス

□JR予讃線「北伊予駅」から徒歩約10分


※掲載の情報は最新のものとは限りません。ご自身で確認をお願いします。

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