飯倉熊野神社の創建については不詳だが、養老年間(717~724)芝の海岸に勧請され、その後現社地に遷座したとも、応永年間(1394~1428)慶祚阿闍梨が熊野三山を勧請したとも伝えられる。文明年間(1469~87)太田道灌により再興された。明治21年(1888)鹽竈大神を勧請・合祀、同29年(1896)三田稲荷神社を合祀する。
正式名称 | 熊野神社〔くまのじんじゃ〕 |
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通称 | 飯倉熊野神社〔いいぐら くまのじんじゃ〕 |
御祭神 | 伊邪那岐大神 伊邪那美大神 武速須佐之男大神 〈相殿〉鹽竈大神 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都港区麻布台2-2-14 [Mapion | googlemap] |
最寄り駅 | 赤羽橋(都営大江戸線) 神谷町(日比谷線) 麻布十番(南北線・都営大江戸線) |
御朱印
(1)平成19年拝受の御朱印。朱印は「飯倉熊野神社」、右下に八咫烏。
(2)平成28年拝受の御朱印。右下の八咫烏の印が変わっている。
(3)港七福神、恵比寿神の御朱印。平成19年拝受。
御由緒
飯倉熊野神社は、古来しばしば火災に遭って古記録・宝物が失われているため、由緒沿革等詳細は不明であるが、『江戸名所図会』などによれば養老年間(717~724)芝の海岸に勧請され、その後、現社地に遷座したという。
あるいは『御府内備考』は、応永年間(1394~1428)慶祚という阿闍梨が熊野三山を勧請したとする。
文明年間(1469~87)太田道灌により再興され、太鼓などが寄進されたと伝わる。また、境内末社の太田稲荷(現在は本殿に合祀)は太田道灌の守護神で、勝手ヶ原に出陣した際、戦勝の奉賽として鯛を供えた。その後、人々がそれに倣って土製の鯛を供えるようになり、恵比寿様として信仰されるようになったという。
江戸時代は寛永寺末の三集山正宮寺(現・廃寺)が別当であった。武家から篤い崇敬を受け、仕官の際には当社に参拝し、牛王神符を拝受したという。
明治5年(1872)村社に列格。同21年(1888)宮城県の鹽竈神社より御分霊を勧請・合祀、同29年(1896)三田稲荷神社を合祀。
昭和20年(1945)米軍の空襲により社殿等灰燼に帰した。同27年(1952)再建。同32年(1957)当時隣接していた飯倉小学校の講堂建設のために境内地の一部を譲渡、さらに同40年(1965)桜田通りの拡張のため、境内地の前面が削られた。平成21年(2009)愛宕神社と太田稲荷神社を本殿に合祀した。
写真帖
メモ
飯倉交差点から少し南、目の前に東京タワーを望み、背後にはロシア大使館がある。『江戸名所図会』には飯倉熊野権現の大きな社殿が描かれているが、現在の熊野神社はこぢんまりとした境内に小さな社殿と社務所が窮屈そうに並ぶだけである。平成22年(2010)社務所がマンションを兼ねたビルに建て替えられ、さらに窮屈になった。時代の流れを感じさせられる。
飯倉熊野神社の概要
名称 | 熊野神社 |
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通称 | 飯倉熊野神社 |
旧称 | 飯倉熊野権現社 |
御祭神 | 伊邪那岐大神〔いざなぎのおおかみ〕 伊邪那美大神〔いざなみのおおかみ〕 建速須佐之男大神〔たけはやすさのおのおおかみ〕 〈相殿〉 鹽竈大神〔しおがまのおおかみ〕(塩土老翁) 宇迦之御魂大神〔うかのみたまのおおかみ〕(三田稲荷神社) 火之加具都知大神〔ほのかぐつちのおおかみ〕(愛宕神社) 宇迦之御魂大神〔うかのみたまのおおかみ〕(太田稲荷神社) |
鎮座地 | 東京都港区麻布台二丁目2番14号 |
創建年代 | 養老年間(714~24) |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 6月1日~3日 |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭 1月3日/元始祭 2月第1週吉日/追儺式(節分) 2月11日/紀元節 2月17日/祈年祭 6月30日/大祓式 11月3日/明治節 11月23日/新嘗祭 12月31日/大祓式 |
巡拝 | 港七福神(恵比寿) |
交通アクセス
□赤羽橋駅(都営大江戸線)より徒歩6分
□神谷町駅(日比谷線)より徒歩6分
□麻布十番駅(南北線・都営大江戸線)より徒歩10分