第49番 西林山 浄土寺

49番浄土寺

名称 西林山 三蔵院 浄土寺
御本尊 釈迦如来
所在地 愛媛県松山市鷹子町 [Mapion|googlemap]

【本尊真言】
のうまく さんまんだ ぼだなん ばく

【御詠歌】
十悪のわが身を棄てずそのままに 浄土の寺にまいりこそすれ

【略縁起】
寺伝によれば、天平勝宝年間(749~57)恵明上人が開創し、孝謙天皇の勅願所とされた。後に弘法大師が再興したという。天徳年間(957~60)空也上人が滞在し、里人に教えを説いた。重要文化財に指定されている空也上人像は、上人が立ち去るに当たり、里人の願いによって残した自像であると伝えられる。

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浄土寺の納経(御朱印)

  • 浄土寺の納経

    (1)

  • 49番浄土寺の納経

    (2)

(1)平成元年拝受の納経。揮毫は「釈迦如来」。中央の宝印は蓮台の上に釈迦如来の種字「バク」、文殊菩薩の種字「マン」、普賢菩薩の種字「アン」。右上の印は「第四十九番」、左下は浄土密寺」。

(2)平成18年に拝受した納経。揮毫・朱印ともに平成元年のものと同じ。

江戸時代の納経

  • 天保11年の納経

    (1)

  • 天保12年の納経

    (2)

(1)天保11年(1840)の納経。版木押しで、「奉納経」「本尊釈迦如来」「豫州西林山」「浄土寺」。中央の宝印は現代のものとほぼ同じで、蓮台の上に釈迦三尊の種字「バク」(釈迦如来)、「マン」(文殊菩薩)、「アン」(普賢菩薩)。右上の印は「第四十九番」、左下は「三蔵密院」。

(2)天保12年(1841)の納経。揮毫は「奉納経」「本尊釈迦如来」「豫州西林山」「浄土寺」。朱印は天保11年のものと同じ。

明治時代の納経

  • 明治38年の納経

    (1)

(1)明治38年(1905)の納経。版木押しで「奉納経」「本尊釈迦如来」「豫州西林山」「浄土寺」で、天保11年のものとほぼ同じ。中央の宝印も同じで、蓮台の上に釈迦三尊の種字「バク」「マン」「アン」。右上の印は「第四十九番」、左下は「三蔵院」。

浄土寺について

山号 西林山(さいりんざん)
寺号 浄土寺(じょうどじ)
院号 三蔵院(さんぞういん)
御本尊 薬師如来
所在地 釈迦如来
創建年代 天平勝宝年間(749~57)
開山 恵明上人
宗派等 真言宗豊山派
文化財 〈重文〉本堂 木造空也上人立像

覚え書き

さして広いわけではないが、手入れの行き届いた境内に歴史の重みを感じさせる建物が並び、すっきりと落ち着いた印象。
寺伝によれば、天平勝宝年間(749~57)孝謙天皇の勅願により、恵明上人が行基菩薩御作の釈迦如来像を本尊として開創したと伝えられる(一説に天平年間とも)。後に弘法大師が巡錫し、伽藍を再興して真言宗に改めたとされる。
その名の通り、浄土教と関係が深い。言い伝えによれば、天徳(957~60)の頃、市聖と称された空也上人が滞在し、この地の人々を教化した。立ち去るに当たって、里人の願いにより自像を残した。これが重要文化財の空也上人像だという。
また、浄土宗の開祖・円光大師法然上人、二世聖光上人、三世良忠上人が自作像を安置したことから三蔵院を号するようになったと。ただし、残念ながらこれらの像は昭和20年(1945)米軍の松山空襲により出開帳先で焼失したという。
建久3年(1192)源頼朝が一門の繁栄を祈願して伽藍を修復したが、応永23年(1416)の兵火で焼失、文明16年(1484)領主・河野通宣によって再建された。現在の本堂はこの時のもので、内陣の一間厨子とともに国の重要文化財である。
最盛期には末寺66坊を誇ったが、河野氏が没落すると寺運も衰退した。江戸時代に入って中興第一世とされる宥雄法印が復興に尽力、慶安2年(1649)大規模な修繕が行われた。
奥之院は、裏山の頂上にある牛之峯地蔵堂である。

写真帖

  • 山門

    山門

  • 大師堂

    大師堂

  • 本堂

    本堂


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