渋江白髭神社は渋江村の鎮守で、旧称は客人大権現〔まろうど だいごんげん〕。創建年代は不詳だが、貞観2年(860)あるいは治承年間(1177~80)の鎮座という伝承がある。子授けや花柳病の霊験で知られ、吉原をはじめとする花柳界を中心に広く信仰を集め、最盛期の文化・文政から天保の頃(1804~45)には遠近の参詣者が雲集したという。
正式名称 | 白髭神社〔しらひげじんじゃ〕 |
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旧称 | 客人大権現〔まろうど だいごんげん〕 |
御祭神 | 猿田彦命 〈相殿〉大己貴命 建御名方命 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都葛飾区東四つ木4-36-18 [Mapion|googlemap] |
最寄り駅 | 四ツ木(京成押上線) |
公式サイト | http://shirahige.webcrow.jp/ |
御由緒
渋江白髭神社は、渋江村の鎮守。江戸時代以前は客人大権現〔まろうどだいごんげん〕と称し、別当は天台宗の清宝山観正寺(廃寺)であった。
創建年代は詳らかではないが、貞観2年(860)あるいは治承年間(1177~80)の鎮座という伝承がある。観正寺が延徳3年(1491)に開創されたと伝わることから、これ以前の創祀であろうという。
客人大権現は山王二十一社の一・客人権現(日吉大社の白山宮)との関連を想起させるが、日吉大社より客人権現を勧請したという記録は残っていない。
渋江の名は応永5年(1398)の『葛西御厨田数注文写』に見えることから、建久年間(1190~1199)葛西清重が伊勢神宮に寄進した葛西御厨三十三郷の一つと考えられており、その鎮守である当社の歴史も古くまで遡ると推測される。
『新編武蔵風土記稿』には白髭八王子客人権現合社とあり、特に客人権現は霊験あらたかであるとして近郷の人々の人々が参詣したと記す。
御神体は男根石といわれる。子授けと花柳病除けの霊験で知られ、吉原をはじめとする江戸市中の花柳界の信仰が篤かった。諸人愛敬・商売繁盛・芸能上達の御神徳もあるということから遊郭関係者や芝居茶屋、料飲業者の信仰も集めた。
特に当社を篤く信仰していた6代将軍・徳川家宣の愛妾・左京の局が7代将軍・家継を授かったことから大いに信仰を集めた。文化・文政から天保の頃(1804~45)が最盛期で、遠近の参詣者が雲集した。往時の賑わいは『十方庵遊歴雑記』という当時の紀行文に記されているという。
明治2年(1869)神仏分離により別当・観正寺は廃寺とされる。社号を白髭神社と改め、明治5年(1872)村社に列格した。大正3年(1914)には村内より稲荷神社・皇産霊神社(旧第六天社)を境内に遷座し、末社とする。
現在の社殿は嘉永元年(1848)に造営された総欅の入母屋造。大正5年(1916)本殿と高欄を再建。平成5年(1993)瓦葺きから銅板葺きに葺き替えを行った。
境内には文化・文政・天保の最盛期に奉納された燈籠・水舎などが残り、当時の繁栄ぶりをうかがわせる。
御朱印
(1)平成19年拝受の御朱印。朱印は「白髭神社」、揮毫は「旧客人大権現」「白髭神社」。
(2)平成29年拝受の御朱印。中央の朱印は「白鬚神社」、右上に白抜きで「客人大権現」、園下に「武蔵國西葛西領渋江邑鎮守」。
写真帖
メモ
京成押上線の四ツ木駅から5分ほど歩いた住宅地の中に鎮座する。こぢんまりとした境内だが緑が多く、小ぶりながら風格のある木造社殿が正面に建っている。境内の片隅には、文政から天保の頃に建てられた、当社への道標が集められており、当時の賑わいを偲ばせる。
渋江白髭神社の概要
名称 | 白髭神社 |
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通称 | 渋江白髭神社 |
旧称 | 客人大権現 白髭八王子客人権現合社 |
御祭神 | 猿田彦命〔さるたひこのみこと〕 〈相殿〉 大己貴命〔おおなむちのみこと〕 建御名方命〔たけみなかたのみこと〕 |
鎮座地 | 東京都葛飾区東四つ木四丁目36番18号 |
創建年代 | 延徳3年(1491)以前 |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 5月20日 |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭 1月20日/年番引継奉告祭 2月初午日/末社 稲荷神社例祭 6月15日/末社 皇産霊神社例祭 6月30日/夏越大祓式 7月7日/末社 厳島神社例祭・七夕飾り 10月20日/秋季例祭 11月一の酉/末社 大鳥神社例祭 12月31日/師走大祓式 |
交通アクセス
□四ツ木駅(京成)より徒歩6分