名称 | 巨鼇山 千手院 雲辺寺 |
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御本尊 | 千手観世音菩薩 |
所在地 | 徳島県三好市池田町白地763-2 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | http://ameblo.jp/unpenji66/ |
【本尊真言】
おん ばざらたらま きりく
【御詠歌】
はるばると雲のほとりの寺に来て 月日を今は麓にぞ見る
【略縁起】
四国八十八ヶ所中もっとも高い標高911mにある札所。所在地は徳島県だが、四国霊場としては讃岐の札所に数えられる。寺伝によれば、延暦8年(789)当時16歳の弘法大師が善通寺の建築用材を求めてこの山に登り、深山の趣に感動して開創したとされる。七堂伽藍が整備され、四国各地から集まった僧たちが学問・修行に励んだ。山内に阿波・土佐・伊豫・讃岐の各坊があって四国坊と称されたという。江戸時代は阿波藩主・蜂須賀氏の保護を受けた。
雲辺寺の納経(御朱印)
(1)平成元年拝受の納経。揮毫は千手観音の種字「キリーク」に「千手観音」。中央の宝印は蓮台上の火炎宝珠に千手観音の種字「キリーク」・不動明王の種字「カーン」・毘沙門天の種字「ベイ」。右上は「第六十六番」、左下は「巨鼇山雲辺寺」。
(2)平成18年にいただいた納経。揮毫・朱印ともに平成元年のものと同じ。
江戸時代の納経
(1)天保11年(1840)の納経。揮毫は「奉納」「本尊千手大悲」「阿波雲辺寺」。中央の宝印は蓮台上の火炎宝珠に千手観音の種字「キリーク」・不動明王の種字「カーン」・毘沙門天の種字「ベイ」。右上の印は「第六十六番」、左下は「巨鼇山千手院」。
(2)天保12年(1841)の納経。揮毫は「奉納」「大悲千手宝殿」「あハ(阿波)雲辺寺」。朱印は天保11年のものと同じ。
明治時代の納経
(1)明治38年(1905)の納経。揮毫は「奉納」「本尊千手大悲」「阿波雲辺寺」。中央の宝印は蓮台上の火炎宝珠に千手観音の種字「キリーク」、不動明王の種字「カーン」、毘沙門天の種字「ベイ」。右上の印は第六十六番、左下は「阿州雲辺寺」と思われる。
雲辺寺について
山号 | 巨鼇山(きょごうざん) |
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寺号 | 雲辺寺(うんぺんじ) |
院号 | 千手院(せんじゅいん) |
御本尊 | 千手観世音菩薩 |
所在地 | 徳島県三好市池田町白地ノロウチ736番地2号 |
創建年代 | 延暦8年(789) |
開山 | 弘法大師 |
宗派等 | 真言宗御室派 |
文化財 | 〈重文〉木造千手観音坐像 木造毘沙門天立像 絹本著色聖衆来迎図 |
備考 | 阿波秘境祖谷渓・大歩危七福神めぐり(毘沙門天) |
覚え書き
阿波と讃岐の国境にそびえる雲辺寺山の頂上近くにある。標高911m、その名の通り八十八ヶ所中最も高い場所にある札所であり、山上からは阿波・土佐・伊予・讃岐の四ヵ国を眺めることができる。
以前は遍路ころがしと呼ばれる難所の一つであったが、現在はロープウェイで簡単に参拝することができる。かつての規模には及ぶべくもないとはいえ、険しい山中にこれほどの大伽藍があることに驚かされ、先人の信仰の篤さに心を打たれる。
所在地は阿波(徳島県)だが、古来、讃岐・涅槃の道場の札所とされる。讃岐の関所寺でもある。
寺伝によれば、延暦8年(789)当時16歳だった弘法大師が善通寺の建築用材を求めて当地を訪れ、霊山の趣きに感動して開創したとされる。大同2年(807)唐から帰朝した大師は再びこの山に登り、秘密灌頂の法を修した。さらに弘仁9年(818)嵯峨天皇の勅願を奉じて本尊を造立し、仏舎利と毘盧舎那法印を納めたという。
鎌倉時代には七堂伽藍が整備され、各地から学僧が集まって四国高野と呼ばれた。山内には阿波・土佐・伊予・讃岐の各坊があって四国坊と称したともいう。最盛期には山内12坊、末寺8ヶ寺を擁したと伝えられる。
しかし、火災に遭うこともたびたびであった。その都度再建されたものの、室町時代には次第に里坊の地蔵院(萩原寺)が実権を持つようになったようである。
天正年間(1573~92)、雲辺寺山に登った長宗我部元親は、旧知であった住職の俊崇坊に四国統一の野望を語った。これに対して俊崇坊は「あなたは土佐一国の主の器であって、それが四国の主になろうというのは茶釜の蓋で水桶の蓋をしようとするようなものだ」と諫めた。これを「裏山問答」という。
しかし、元親は俊崇の諫言を聞かずに兵を進め、天正13年(1585)春、ついに四国を統一した。しかし同年6月、豊臣秀吉が四国征伐の軍を起こして、阿波・讃岐・伊予の三方から進撃。同年8月、元親は降伏し、結局、俊崇の言葉の通り土佐一国の領主に納まった。
江戸時代は阿波の国主・蜂須賀氏の祈願所として庇護を受けた。
境内には石の五百羅漢が並ぶ。弘法大師が唐に第一歩を記した福建省赤岩鎮にある五百羅漢院の羅漢像を模したものとのこと。また、本堂脇の「おたのみなす」は、「親の意見となすびの花は万に一つの徒もない」ということわざのようにナスの花は一つの無駄もなく実になるといい、また「成す」と語呂が同じところから、努力が報われ、願いが叶うという。
雲辺寺の奥之院は三好市山城町の長福寺、前札所は観音寺市大野原町の萩原寺(別格16番)である。