荏原神社

荏原神社

正式名称 荏原神社〔えばらじんじゃ〕
御祭神 高龗神 天照皇大神 須佐男之神 豊受姫之神 手力雄之神 大鳥大神 恵比須神
社格等 旧郷社 (元准勅祭社)
鎮座地 東京都品川区北品川2-30-28 [Mapion|googlemap]
公式サイト http://ebarajinja.org/

【由緒概要】
南品川宿の鎮守。古くは貴布彌大明神と称した。社伝によれば、和銅2年(709)大和国の丹生川上神社から高龗神を勧請したことに始まるという。宝治元年(1247)京都の八坂神社より牛頭天王を勧請、それ以来天王社と称した。品川神社を北の天王社と呼ぶのに対し、南の天王社と呼ばれる。明治天皇の東京行幸に際しては内侍所が置かれた。

荏原神社の御朱印

  • 荏原神社の御朱印

    (1)

  • 荏原神社の御朱印

    (2)

  • 荏原神社の御朱印

    (3)

  • 恵比須神の御朱印

(1)平成17年拝受の御朱印。中央の朱印は「荏原神社」。上は十六八重菊と三つ巴の神紋。下は「品川宿元総鎮守」。

(2)平成23年拝受の御朱印。中央の朱印は「荏原神社」、印は新しいものと思われる。右上に十六八重菊と三つ巴の神紋、右下に「元准勅祭社」、左下に「荏原神社」。

(3)平成28年拝受の御朱印。中央上の朱印は「荏原神社」、平成23年のものと同じ。下に「元准勅祭社」と「品川宿元総鎮守」。

(4)東海七福神・恵比須神の御朱印、平成23年拝受。

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荏原神社について

名称 荏原神社
通称 南の天王社
旧称 貴船社 貴布祢大明神 品川大明神 天王社
御祭神 高龗神〔たかおかみのかみ〕
天照皇大神〔あまてらすおおみかみ〕
須佐男之神〔すさのおのかみ〕
豊受姫之神〔とようけひめのかみ〕
手力雄之神〔たぢからおのかみ〕
大鳥大神〔おおとりのおおかみ〕
恵比須神〔えびすのかみ〕
鎮座地 東京都品川区北品川二丁目30番28号
創建年代 和銅2年(709)
社格等 旧郷社 (元准勅祭社)
例祭 9月9日(貴布彌祭)
※『平成「祭」データ』をはじめ、天王祭を例祭とする資料が多いが、公式サイトの記述に従い9月9日の貴布祢祭を例祭とする。
神事・行事 1月1日/歳旦祭
2月3日/節分祭
4月30日/汐盛講(大國魂神社くらやみ祭・海上祓式)
5月下旬~6月上旬/天王祭(南の天王祭)
6月30日/大祓
11月酉の日/大鳥祭(酉の市)
11月下旬/新嘗祭
12月31日/大祓
巡拝 東海七福神(恵比須神)

御由緒

南品川宿の鎮守。和銅2年(709)9月9日、大和国吉野郡の丹生川上神社より高龗神を勧請したことをもって創祀とする。南品川の枝郷である三ツ木(現・西品川)の貴船神社が元の鎮座地で、後に現社地へ遷したという。古くから貴布彌〔きぶね〕大明神、品川の龍神様として崇敬された。

長元2年(1029)神明宮を勧請。さらに宝治元年(1274)、京都の祇園社(八坂神社)から牛頭天王を勧請し、天王社とも称するようになった。品川神社を北の天王社(品川神社)に対して、南の天王社と呼ばれた。牛頭天王は南品川猟師町、当社及び妙国寺・品川寺など10ヶ寺の門前町屋、二日五日市村の総鎮守とされていた。

康平5年(1062)、奥州の安倍貞任・宗任追討の命を受けた源頼義・義家父子は、府中の総社六所宮(大国魂神社)と当社に参籠し、品川沖の海中で身を清めて戦勝を祈願した。この故事に倣い、今も大国魂神社のくらやみ祭に先立って神職・所役が4月30日に品川沖で身を清める海上祓式が行われる。品川沖で汲んだ潮水を荏原神社の神前に供え、大祭の成功を祈願した後、大國魂神社に持ち帰って潔斎に用いる。

天正18年(1590)徳川家康が江戸入府に際して立ち寄って鎮座の由来などを聞き、古社であるとして左文字の太刀を寄進し、さらに翌19年(1591)朱印地5石を賜った。ただし、これについては北品川の稲荷社と中分とされ、南品川の2石5斗を領した。御朱印書き替えのたびに両社の神主が出て拝領し、交代で所蔵したという。これについては両社の間で争論も起こっている。

明治元年(1868)、明治天皇の東京御入府の際、また同年から翌年にかけての京都行幸の際、当社に立ち寄り、内侍所の行宮とされた。また、同5年(1872)明治天皇が昭憲皇太后を出迎えた際にも当社を休息所とされた。

明治5(1872)郷社に列格。同8年(1875)荏原郡の郡名を冠して荏原神社と改称した。神祇院からは府社相当の由緒ありと認められたという。

現在の社殿は弘化3年(1844)の建造、「荏原神社」の扁額は内大臣三条実美の書である。

年中祭祀のうち貴布彌祭・天王祭・大鳥祭を三大祭とするが、中でも天王祭は品川神社の北野天王祭に対して南の天王祭と呼ばれ、両社合わせて品川天王祭と称する。品川の神輿は大拍子という締太鼓を神輿につけて竹の撥で叩き、篠笛とともに奏する品川拍子に合わせて荒々しく担ぐのが特徴である。

ことに天王洲沖で御神面をつけた神輿が海に入って渡御する「御神面海中渡御」が有名で、「かっぱ祭り」の別名がある。

補足

荏原神社は当時の資料に「品川貴船社」と記されていることを根拠に、品川神社ではなく荏原神社が元准勅祭社であると主張している。しかし明治3年(1870)の『太政官日誌』41号には「品川県 其県管内品川六所両神社」とあり、品川神社が准勅祭社であったとするのが妥当と思われる。朱印領と准勅祭社の問題からは、両社の微妙な関係性がうかがわれる。

新編武蔵風土記稿

貴布彌社

(前略)天正十八年、東照宮当社に御立寄ありて鎮坐の来由を御尋あり。当時旧記も存ぜしかば、時の神主鈴木正根具に言上す。又記録をも御覧ありて、故ある古社なりとて左文字の御太刀を寄附せらる。明年十一月品川郷にて五石の御朱印を寄せらる。されど此社領、昔より北品川稲荷社と中分す。故に御朱印御書替毎に両社の神主出て賜り、両社かはるかはる所蔵し、当社にては南品川の内二石五斗を領す。(後略)

写真帖

  • 一の鳥居

    一の鳥居

  • 恵比須神

    東海七福神 恵比須神

  • 手水舎

    手水舎

  • 内侍所奉安所

    内侍所奉安所碑

  • 神楽殿

    神楽殿

  • 境内社

    八幡宮・稲荷神社・熊野神社

  • 拝殿

    拝殿

  • 拝殿の扁額

    拝殿の扁額

  • 本殿

    本殿

メモ

目黒川の畔に鎮座する。重厚な江戸時代の社殿には見事な彫刻が施され、見応えがある。朱塗りの鎮守橋から望む荏原神社の社叢は「しながわ百景」にも選ばれている。


※掲載の情報は最新のものとは限りません。ご自身で確認をお願いします。

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