葛飾氷川神社は、下千葉村の鎮守である。創建年代は不詳だが、正治元年(1199)大宮の氷川神社より勧請されたとの伝承が残る。境内末社の八王子神社は、治承2年(1178)源頼朝が山王二十一社の一である八王子権現(日吉大社の摂社・牛尾宮)を勧請したものと伝えられ、明治45年(1912)氷川神社に合祀された。
正式名称 | 氷川神社〔ひかわじんじゃ〕 |
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御祭神 | 素盞嗚尊 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都葛飾区堀切5-38-10 [Mapion|googlemap] |
最寄り駅 | 堀切菖蒲園(京成) |
御朱印
(1)平成19年拝受の御朱印。中央の朱印は「氷川神社」、左下は「氷川神社社務所之印」。揮毫は「氷川神社」。
(2)平成30年拝受の御朱印。朱印・揮毫とも平成19年拝受のものとほぼ同じだが、右上に「宮」の印が押されている。
(3)平成30年拝受、末社・八王子神社の御朱印。中央の朱印は「八王子神社」、右上は「宮」、左下は「氷川神社社務所之印」。
御由緒
葛飾区堀切に鎮座する葛飾氷川神社は、下千葉村の鎮守。旧別当は真言宗の清瀧山正王寺であった。
創建年代は詳らかでないが、口碑に寄れば、正治元年(1199)3月頃、武蔵国一宮である大宮の氷川神社から勧請されたと伝えられる。一説には天正の頃(1573~93)ともいう。
『葛飾区神社調査報告』は弘化3年(1846)村内の諏訪社を合祀したとするが、祭神から考えて合祀先は八王子神社と考えるのが妥当だろう。
明治5年(1872)11月14日、村社に列格。
明治42年(1909)村内の無格社・八王子神社を合祀する(※明治45年とする資料もあるが、神社明細帳には明治42年3月17日合祀許可、4月12日合祀済届提出とある)。昭和6年(1931)境内に八王子神社の社殿を新築し、合祀の神々を祀った。
末社 八王子神社
御祭神は御年神〔みとしのかみ〕・東照宮(徳川家康公)・建御名方神。
氷川神社に合祀される以前の神社明細帳には主祭神を御年神、相殿に東照宮と建御名方神を祀るとある。建御名方神は、『新編武蔵風土記稿』の下千葉村の項に見える諏訪社を合祀したものであろう。
創建年代は不詳だが、旧別当・正王寺所蔵の縁起によれば、治承2年(1178)源頼朝が山王二十一社の一つである八王子権現(日吉大社の摂社・牛尾宮)を正王寺境内に勧請し、社領百貫文を寄進したことに始まるという。
慶安2年(1649)鷹狩りの際に正王寺境内を通りかかった3代将軍・徳川家光は、八王子宮に拝礼し、その由緒を尋ねた。そして、征夷大将軍の始祖である頼朝が勧請したという由緒を聞いて朱印地5石を寄進し、深く帰依して度々参詣したと伝えられる。
明治42年(1909)氷川神社に合祀。昭和6年(1931)境内に社殿を新築して遷し祀られた。
御神木 クロガネモチ
八王子神社前には元御神木のクロガネモチの切り株が保存されている。高さ11m・根回り2.45mで、天正年間(1573~93)の頃から御神木とされていたという。昭和58年(1983)区の天然記念物に指定されたが、平成7年(1995)老樹のため惜しまれつつも現状となったという。
写真帖
八王子神社
メモ
堀切菖蒲園駅近くの住宅街に鎮座する。朱塗りの神明造の社殿が境内の緑に映える。参道正面に本社の社殿、その左側に八王子神社がある。本社は境内の向かって右側(北側)に偏っており、参道の左側は広場のようになっている。
初めて参拝したのは平成19年。それから10年経った平成29年、八王子神社の御朱印も授与されるようになったことを知って2度目の参拝をしたが、宮司さんがお留守で御朱印はいただけなかった。翌平成30年、3度目の参拝。兼務社である東墨田白髭神社・平井天祖神社・往時白髭神社の御朱印もいただけるという情報があったので、3社を巡拝した上で参拝、無事に5社分の御朱印を拝受した。
氷川神社の概要
名称 | 氷川神社 |
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通称 | 葛飾氷川神社 堀切氷川神社 |
御祭神 | 素盞嗚尊〔すさのおのみこと〕 〈末社 八王子神社〉 御年神〔みとしのかみ〕 東照宮〔とうしょうぐう〕 建御名方神〔たけみなかたのかみ〕 |
鎮座地 | 東京都葛飾区堀切五丁目38番10号 |
創建年代 | 正治元年(1199) |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 9月9日 |
神事・行事 | 1月3日/元始祭 2月23日/祈年祭 4月17日/八王子神社祭(権現祭) 11月23日/新嘗祭 ※『平成「祭」データ』による |
交通アクセス
□堀切菖蒲園駅(京成)より徒歩10分